備忘録。元最先端のエンジニアが提唱する人間性経営学の真髄とは何か。

7月28日
もう20年近く前になるでしょうか。当時船井幸雄さんが書籍やセミナーで紹介されたのが天外伺朗さんという人物でした。コンパクトディスクやロボット犬AIBOを開発した最先端エンジニアがペンネームであの世を科学的に解明した書籍「ここまで来たあの世の科学」を出したと。
早速購入してみると巻頭にソニー創業者の井深大さんと船井幸雄さんが推薦文を寄稿されていました。それ以降出された本はすべて読ませていただいているのですが、書籍以外にもマハーサマーディ研究会(理想的な死に方を研究する会)を主宰されたときには即入会しました。
「死」という現実に向き合い、その局面に金銭的にも精神的にもご遺族を支えるのが我々生命保険を扱うモノたちの使命であると思っていたからです。死の恐怖を宗教的アプローチではなく、科学的に死後の世界を示唆することで少しでも和らげることも1つの志事ではないかと思ったからです。
その会への入会と共に「こんな病院が欲しい」という本を献本いただきました。実はこの本の中で「HOLOS」という意味や概念が紹介されていて、その内容にいたく共感し、勝手ながら社名に取り入れさせていただいたのです。この概念を事業として体系化していった訳ですから、もし当社がこの社名でなければ今とは全く違う会社になっていたかもしれません。
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よってまさにワタスにとっては恩人であり恩本なのです。
その天外先生のセミナーが大阪であるとfacebookのダイレクトメッセージが来たのが7月25日の夜。それが何と当社大阪オフィスと同じビルの1階下で、それも開催日がワタスの誕生日となれば行かないわけにはいきません。数々のパーティやイベントをすべてキャンセルして(ウソ)馳せ参じることにいたしました。
で、以下はその備忘録です。
・合理主義経営学は「管理型マネジメント」であり、人間性経営学とは「燃える集団型マネジメント」である。
・過去100年余にわたって企業のガイドラインとなってきた合理主義経営学がそろそろ役割を終えようとしており、次の100年間は人間性経営学の時代になる。
・指示命令・叱咤激励により組織をコントロールするのではなく、すべて従業員の自主性に任せ、それでもバラバラに乱れずに企業を一つの方向に元気よく走らせるマネジメントが人間性経営学である。
・管理型は大脳新皮質を使い燃える集団型は旧皮質(古い脳)を使う。
・過去から合理主義の追求と人間性の追求のバッティングの中で企業は発展してきたが実は人間性の追求のみの方が企業は成長することがわかってきた(セムコ社やゴア社)まだまだこれに気づいている企業は少ない のでここに着目して取り入れると先駆けて発展するのだが簡単ではない。
・人間性経営学、フロー経営のコツは「教えない」「叱らない」「やらせない」である。
・日本ハムコーチの白井一幸氏によると教えられて名選手になった選手はいない。平凡な選手にしかならな い。つまり自分が思って行動しないと身につかないということである。
・プロスポーツの世界では大脳新皮質がでしゃばると(計算すると)ダメ。古い脳が活性化(直感)することで初めてフローに入れる。
・組織、チーム全体がフローに入る(燃える集団)には上司にコントロール願望がないこと。コントロール願望を持ちながらそれをひた隠しにしてコーチングしても絶対に上手くいかない。
・創業社長は葛藤が強く、その葛藤のエネルギーを使い成長させていく。葛藤とはコントロール願望である。葛藤の弱いヒトは創業できないがそのエネルギーで成長させてくるとやがて会社は独自の生命体となってく るのでその社長が追い出されることになる場合も多い。
・フロー経営を行うには葛藤が邪魔になる。葛藤を減らして聖なる層(無意識層にあるモンスター層の更に奥にある層・真我、仏性、絶対的肯定)へアクセスすることで実現する。
・運力とは運をヨクする力のことではなく自分の運をマネジメントする力のことである。
・共時性(偶然の一致)を発見したらそこにホイホイ乗っていくこと、それも一歩深く近づいていくことで幸運を掴むことができる。

今回初めて天外先生と身近でコミュニケーションをさせていただきましたがその感想は。
もはや完全にとんでいるヒト・・
科学者だけあってベースとなる脳科学や心理学の知識はワタスのようななんちゃってレベルとは程遠く、恐らく日本屈指のデータベースにもかかわらず、その受け答えはもはや科学者というより高僧の如くで。
セミナー後や懇親会での質疑応答も禅問答のようで、ワタスもついイイワルイの意味づけをしてしまう思考のクセをたしなめられました。
ワタスのCSO(チーフ・スピリチュアル・オフィサー)への道はまだまだ程遠いことを実感しましたが、それでも一歩でも近づけるよう精進していきたいと思います。
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55歳にして振り返る。青春とは何だ。そして君は青春を謳歌しているのか。

7月28日
昨日はワタスの55回目の誕生日。facebookやtwitterやメールでたくさんのカタガタからお祝いメッセージをいただき、感謝感激雨あられおかきせんべいマカロン宇治金時です(意味不明・・)
それにしてもまさか自分が55歳になるなんて・・・一昔前ならサラリーマンは定年でした。再雇用先を考えるか第2の人生をどう過ごすかを真剣に考えざるをえなかった年齢です。実は某生命保険会社に32歳で転職したとき入社研修で作成したライフプランでは55歳でリタイアすることにしていました。その意識もどこかにあったのか42歳で起業したときも自分は55歳でリタイアする気がどこかにありました。
その時から早や13年。
幸か不幸か未だにその当時とさして変わらずシゴト三昧の日々をおくらせていただいております。若かりし頃は人生のピークは20代~30代くらいで、その後は過去の思い出やささやかな栄光を胸に緩やかに人生の充実曲線は下降していくイメージでした。でもしかし。ざっくり言うと20代のサラリーマン時代、30代のフルコミ営業時代、40代の独立起業時代を経てきた経験を振り返るとどんどん充実曲線は上昇しているように思えます。
そして50代も半ばに差し掛かり。更に充実曲線は上昇基調を続けています(もちろん今までも一本調子の右肩上がりなんてことは無く、あくまでも紆余曲折を経ながらですが)
人生は次から次にやってくる様々な出来事を自身がどう受け取るか、どう受取めてどう感じてどう行動するかの繰り返しですね。すべてが自分が書いたシナリオ(自己責任)ですべてを肯定的機会的(チャンス)に捉えるクセを持つことで充実曲線は天まで(昇天するまで・・)上がっていくのではないでしょうか。
かのマッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サミエル・ウルマンの青春の詩によると。
 『青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情 熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。(中略)
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。』

たいした創造力も逞しき意志も炎ゆる情熱も怯懦を却ける勇猛心も安易を振り捨てる冒険心も無い中途半端なワタスですが。
それでも右わきにユーモアと左わきに好奇心を携えて、まずは自分が楽しみ、そして周りを楽しませる気持ちを持ち続けることで自分なりの青春を謳歌していきたいと思います。
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元気があれば何でもできる70歳のアントニオ猪木のギャグは卍固めを超えていた・・

7月25日
本日は早朝6時台ののぞみ早得グリーンで東京に移動し立て続けに4件の重要案件を終え今しがた京都に戻る相変わらずひかり早得のグリーンに乗り込んだもうすぐ55歳になるというのに未だにグリーンは早得しか乗る根性が無い永遠のチキン社長@堀井ですこんばんわ。
ところで。
今週日曜の参院選で自民党が圧勝してねじれ国会が解消する我が国日本。
「ねじれ」と言えば、身体をねじれさせてギブアップさせる卍固めを必殺技としたアントニオ猪木さんは奮わなかった維新の中ではさすが存在感を放っていましたね。特に次々と繰り出されるギャグの連続技に70歳とは思えぬ元気とセンスを感じました(政治家としての実力はわかりませんが)
話を戻しますと、おそらくこれから暫くは自民党の政策、いわゆるアベノミクスがどんどんと進んでいくと思われます。もちろんそれで景気がどんどん回復し、一般生活者に豊かな暮らしがもたらされることに期待しているわけですが。
その政策がはずれるもしくは公約が履行されなければまた首相が変わったり次の総選挙で政権が変わったりする可能性もあるわけです。要するに過去の民主党のようにマニュフェストに期待して国民が1票を投じたはいいがその期待値とは裏腹に実行力があまりにも欠けていたために信頼を失い惨敗を喫するなんてことにならないようにしていただきたいと強く思っている訳なのです。
でもこれはよくよく考えて見れば企業経営にも同じことが言えるなと。
事業計画を内外に発表することで期待値を高めたはイイが、結果年度を締めた時には全くその計画が未達に終わってしまえば、株主や取引先等ステークホルダーから信頼を失うということです。
政治も事業経営も信頼が命。
実は当社が掲げるHOLOSを創る10の価値観の10番目に、
「組織の土台はラポール(信頼の架橋)。それは約束と実行の積み重ねからしか生まれない。」
というものがあります。有権者と政治家とのラポールが築けなければ政権を失いますし、企業で言えばお客さまや社員、プランナー、ステークホルダーとのラポールが築けなければ組織は崩壊していくということですね。
信頼を失墜しないためには約束したことは必ず守るという強い気持ちや緻密な計画もさることながら運用の仕組み、即ちマイルストーンを明確化し、カチカチとPDCAを回していくマネジメントが不可欠だということです。このマネジメントには組織を回すということもあればセルフマネジメント、自分で約束して自分で守るという自己管理も含みます。
当社は今月末が決算で来月から新年度が始まります。まずは経営トップのワタスが今期に果たせなかった数々の約束を猛省し、次年度は必ず約束が果たせるよう心して臨みたいと思います。
わざわざワタスが言わなくてもこの思いを新年度を向かえるすべてのスタッフが持ち、実行準備に入ってくれていることを信じています。
これぞまさに以心伝心ジェットシンです・・・
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期間限定の井戸がある街で想ふ。運命の神様は誰かに助けられたら誰かを助けるヒトに微笑むのだ。

7月19日
「信用が無いからおたくには貸せません・・」
橋弁慶町に引っ越す時に無下に断られたテナントビル。それから数年経過後に入居を承諾してくれたのが手洗水町のオフィスです。実績を積み上げることでしか信用は得られないということですね。
引っ越しをする前の数年はやはり組織がぐらついたせいか売上も利益もほぼ横ばいの微増だったのですが、それでも徐々に成長モードにシフト。スタッフも増員したので狭いオフィスが更に手狭になり、引っ越す直前はワタスが座る場所が無く、ジプシーのように会議室や接客机で仕事をしていたのですが。
当時「30代で某保険会社の支社長をしていた頃は応接セット付きの個室があったのに、今は自分が座る机も椅子も無くなってもた・・」なんてことも頭をよぎったような気もしますが、逆に「机も椅子も無い社長の方がネタ的にはウケそうやな」と思うとそれはそれで嬉しくもありました(え?おかしい?)

新しいオフィスは喪が明けた?ような感覚と言いましょうか、ワタスだけでなくスタッフの面々もやはり嬉しそうで「ちょっと下見に行くか?」と誘うとぞろぞろついてきて「広いですね~」「綺麗ですね~」と喜んでくれたのが印象的で、その時オフィス環境が社員のモチベーションアップに繋がることを実感しました。何よりワタスは「やっとウォシュレット付トイレのビルに入れた」ことが嬉しかった訳です(笑)
で、これから順風満帆の右肩上がりが始まるかと言えば、人生はそう甘くはありましぇん。その後更に副社長と常務が当社を離れ別の代理店に行き、専務はプランナー職に戻ります・・
過去に9年間フルコミ(完全歩合)営業パーソンをマネジメントすることでそれなりの評価を得てきたワタスですが、本当の意味で会社をマネジメント(経営)することとは難易度は大きく違ったということでしょう。自己完結型の組織運営と報酬以外の目に見えない評価ややりがいがモチベーションになるチーム型組織の運営の違いを経営トップであるワタスが理解し実践できていなかったのです。ワタスは性懲りも無く優秀な経営陣たちのやる気をそいでしまったあまりにも学習効果の無い未熟者だったのです。
でもこの辺りから、これ以上貴重な戦力を喪失したくないという危機感からか、残された経営陣初めスタッフたちがもうワタスには任せてられないと奮起してくれたからか?堀井商店からの脱皮、企業化への道が本格化していきます。
人事制度をはじめとする規定作りの着手。何より心が離れないよう、プランナーさんへの配慮とは別に社員とのコミュニケーションを意識、半期に1度の社員総会を開催することにしました。そしてビジョンや理念を行動に置き換えやすくするよう「HOLOSを創る10の価値観」を策定し、一貫した経営者からのメッセージを口頭だけでなく文字に落し込み、企業風土や文化の醸成に力をいれていきました。これが功を奏したのかどうかはわかりませんが、その後業績は安定的に成長を始めてくれたのです。
ということで、もう暫くはこの手洗水町でお世話になるつもりです。これからも恐らく順風満帆なんてことは
無いでしょう。もう少し歳を取り、もう少し成功できたらワタスの歩んできたシゴト人生で学んだ教訓をちゃんと物語にしたいと思っています。その時は是非読んでやってくださいね。
ところで。
「手洗水町」の歴史と由来でもある御手洗井(みてあらいい)という井戸は、毎年7月15日の早朝に井戸が開かれ24日には閉じられる期間限定の井戸。
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一年の間で祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(7月24日)の10日間だけ開かれる井戸なのです。
ここにはむかし祇園御旅所があったそうで、祭られています牛頭(ごず)天皇に、毎日この井戸の水を霊水としてお供えしていたといわれます。1568(永禄11)年には織田信長が御旅所を移転させましたが、水質が良いので祇園祭の間は井戸を開けたそうで。
ほかにも八坂神社の本殿の下には井戸があって、御手洗井とまでつながっている…という説や、土用の日にあんころもちと一緒にこの水を飲むと、一年間病気をしない…など様々な説が伝えられていたりして。
本当に京都という街は歴史があるだけに様々な伝説に事欠きません。いつの日か必ず。ワタスは既にこの世にはいないでしょうが当社は保険業界のみならず日本、いや世界に名を残す伝説の企業になっていることでしょう。
これで一旦祇園祭に因んだ過去回想編の幕を閉じたいと思いますが。
今までたくさんのヒトタチが私に失望して私の元を去っていきました。でもその度に新しいヒトタチが救世主のように私を助けに来てくれました。どちらのカタガタにも感謝の想いで一杯です。本当は一人一人に直接会ってお礼を言うのが筋かと思いますが、根がヘタレれでシャイなのでお許しください。この場を借りまして
お礼申し上げます。いつも本当にありがとう。生かされている限り、できる限りヒトを選ばず恩返しをしていく所存です。
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山鉾巡行でフラッシュバックした起業当時の思い出2。捨てる神と拾う神は本当にいるのか。

7月18日
東京での役員を退任し京都に戻ったワタスは新しいメンバーを迎え入れるために増資による資金調達をして引っ越しをしました。それが橋弁慶町。
自分の執務スペースにプランナーブースや会議室も設えました。
これから1年で20人の規模にしなければ資金は枯渇する。元々マネジメント畑のワタスは保険販売に注力せずにリクルートに重点を置き数字を組み立てました。元々描いたのが規模拡大モデル、顧客接点を持つ流通の川下がイニシャチブを握るという保険流通の変革がコンセプトだったからです。
当初の予定通りほとんど給料は取らなくても資金はどんどん減っていきました。
「堀井さん、このまま行けば来月には口座のお金が無くなりますよ」
「・・・」

ギリギリの所で20人を超え、なんとかスケールメリットが効きだして資金は枯渇せずに済みました。その後は比較的に順調に規模拡大が進みだし「京都に急成長している代理店がある」という噂も業界に広まりだしました。
調子がイイ時は、この勢いがずっと続くものだと勘違いするのがアマちゃんですね。更に資金を調達し、勢いに任せてやろうとしていたことを一気に始めました。同じビル内で広さを3倍くらいに拡大、レイアウトもデザイナーに依頼し、什器備品も刷新、ホームページもお金を掛けて大幅なリニュアル。顧客を会員化するHOLOSクラブを立ち上げ、ロンドンの再保険会社と契約して自家共済まで作り、何より自社開発の顧客管理システムに巨額の投資をしました。必ず乗合代理店の顧客管理、顧客サポートの充実を図ることが事業としての差別化になり、プランナーにとっても既契約者が増えてきた時には無くてはならないツールになるはず。どれも起業準備の時から計画していたことでした。
ただ、このあたりから社内の様子に変化が生じ始めます。この頃、更に私が営業ハウツー本を出版、研修講師のオファーがどんどん入りだし、社長である私が企業研修で本社を不在にすることが増えて行きました。
そしてある日、一気に組織が崩壊。
そんな組織体制なんかできていないのに、足元もまだまだ固められていないのに、コンセンサスも取らずに1人で走りだしていたのでしょう。まったく未熟者のアホ社長です。
当時の主要メンバーの多くが当社を離れ独立、たくさんのプランナーもそちらに移籍して行きました。それに伴い本社事務所は一気に縮小を余儀なくされ、せっかく揃えた什器備品も他のオフィスに送り、入りきらないモノは処分、私のデスクは無くなりました。
自分のことが情けなくて涙が止まらない。今まで経験したことの無かった苦い思い出です。
今でも覚えていることですが、書棚の本も置けなくなったので少額でもイイので引き取って貰って換金しようと思い、友人の古本屋を経営する社長に事情を話し取りに来てもらいました。夜中に一人で背中を丸めて本を整理しているワタスを見てその社長はこう言ってくれました。
「あんなケーちゃん、捨てる神あれば拾う神在りて言うやろ。これはな、残ってくれた仲間にも感謝せんとあかんけど、ケーちゃんを捨ててった奴らにも感謝せんとあかんちゅうことや。捨てていった奴らも神さんや思て感謝してたら拾ってくれる神さんもまた来るわな。元気だしぃや。」
以来、当時の自分自身の至らなさに対して申し訳ない気持ちこそあれ、当社を離れていったメンバーのコトを悪く言う気は一切ありません。当社が危ないという風評も立ち、精神的には辛い時期がその後数年続きましたが、残って支えてくれたスタッフやプランナーさん、励ましてくれた経営者仲間たちには心の底から感謝しています。
五条大橋で牛若丸と弁慶が戦っている姿を表している橋弁慶山。
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牛若丸こと源義経は、優れた戦略家であり、君主を助けながらも非業の死を遂げたことで判官贔屓という言葉を生みだし、また後世に義経不死伝説や義経ジンギスハン説など様々な伝説を残した個性的な人物ですが、この橋弁慶町のビルにいた頃の出来事はひょっとしたら影で牛若丸が支えてくれたのかもしれません(妖しい・・)
でもやはり自分を強くするのは自分の体験しかないということ。その体験を他責するのではなく、どう自分ゴトとして受け止めて、どう次に活かすかで自分の未来が決まるということではないでしょうか。
(難局を何とか乗り越え、業容拡大に伴い引っ越すことになったのですが、実はこの烏丸通りに面した銀行さんのビルは当初信用が無いので入居を断られたビルでした)

手洗水編に続く(かどうかは未定・・)
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