期間限定の井戸がある街で想ふ。運命の神様は誰かに助けられたら誰かを助けるヒトに微笑むのだ。

7月19日
「信用が無いからおたくには貸せません・・」
橋弁慶町に引っ越す時に無下に断られたテナントビル。それから数年経過後に入居を承諾してくれたのが手洗水町のオフィスです。実績を積み上げることでしか信用は得られないということですね。
引っ越しをする前の数年はやはり組織がぐらついたせいか売上も利益もほぼ横ばいの微増だったのですが、それでも徐々に成長モードにシフト。スタッフも増員したので狭いオフィスが更に手狭になり、引っ越す直前はワタスが座る場所が無く、ジプシーのように会議室や接客机で仕事をしていたのですが。
当時「30代で某保険会社の支社長をしていた頃は応接セット付きの個室があったのに、今は自分が座る机も椅子も無くなってもた・・」なんてことも頭をよぎったような気もしますが、逆に「机も椅子も無い社長の方がネタ的にはウケそうやな」と思うとそれはそれで嬉しくもありました(え?おかしい?)

新しいオフィスは喪が明けた?ような感覚と言いましょうか、ワタスだけでなくスタッフの面々もやはり嬉しそうで「ちょっと下見に行くか?」と誘うとぞろぞろついてきて「広いですね~」「綺麗ですね~」と喜んでくれたのが印象的で、その時オフィス環境が社員のモチベーションアップに繋がることを実感しました。何よりワタスは「やっとウォシュレット付トイレのビルに入れた」ことが嬉しかった訳です(笑)
で、これから順風満帆の右肩上がりが始まるかと言えば、人生はそう甘くはありましぇん。その後更に副社長と常務が当社を離れ別の代理店に行き、専務はプランナー職に戻ります・・
過去に9年間フルコミ(完全歩合)営業パーソンをマネジメントすることでそれなりの評価を得てきたワタスですが、本当の意味で会社をマネジメント(経営)することとは難易度は大きく違ったということでしょう。自己完結型の組織運営と報酬以外の目に見えない評価ややりがいがモチベーションになるチーム型組織の運営の違いを経営トップであるワタスが理解し実践できていなかったのです。ワタスは性懲りも無く優秀な経営陣たちのやる気をそいでしまったあまりにも学習効果の無い未熟者だったのです。
でもこの辺りから、これ以上貴重な戦力を喪失したくないという危機感からか、残された経営陣初めスタッフたちがもうワタスには任せてられないと奮起してくれたからか?堀井商店からの脱皮、企業化への道が本格化していきます。
人事制度をはじめとする規定作りの着手。何より心が離れないよう、プランナーさんへの配慮とは別に社員とのコミュニケーションを意識、半期に1度の社員総会を開催することにしました。そしてビジョンや理念を行動に置き換えやすくするよう「HOLOSを創る10の価値観」を策定し、一貫した経営者からのメッセージを口頭だけでなく文字に落し込み、企業風土や文化の醸成に力をいれていきました。これが功を奏したのかどうかはわかりませんが、その後業績は安定的に成長を始めてくれたのです。
ということで、もう暫くはこの手洗水町でお世話になるつもりです。これからも恐らく順風満帆なんてことは
無いでしょう。もう少し歳を取り、もう少し成功できたらワタスの歩んできたシゴト人生で学んだ教訓をちゃんと物語にしたいと思っています。その時は是非読んでやってくださいね。
ところで。
「手洗水町」の歴史と由来でもある御手洗井(みてあらいい)という井戸は、毎年7月15日の早朝に井戸が開かれ24日には閉じられる期間限定の井戸。
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一年の間で祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(7月24日)の10日間だけ開かれる井戸なのです。
ここにはむかし祇園御旅所があったそうで、祭られています牛頭(ごず)天皇に、毎日この井戸の水を霊水としてお供えしていたといわれます。1568(永禄11)年には織田信長が御旅所を移転させましたが、水質が良いので祇園祭の間は井戸を開けたそうで。
ほかにも八坂神社の本殿の下には井戸があって、御手洗井とまでつながっている…という説や、土用の日にあんころもちと一緒にこの水を飲むと、一年間病気をしない…など様々な説が伝えられていたりして。
本当に京都という街は歴史があるだけに様々な伝説に事欠きません。いつの日か必ず。ワタスは既にこの世にはいないでしょうが当社は保険業界のみならず日本、いや世界に名を残す伝説の企業になっていることでしょう。
これで一旦祇園祭に因んだ過去回想編の幕を閉じたいと思いますが。
今までたくさんのヒトタチが私に失望して私の元を去っていきました。でもその度に新しいヒトタチが救世主のように私を助けに来てくれました。どちらのカタガタにも感謝の想いで一杯です。本当は一人一人に直接会ってお礼を言うのが筋かと思いますが、根がヘタレれでシャイなのでお許しください。この場を借りまして
お礼申し上げます。いつも本当にありがとう。生かされている限り、できる限りヒトを選ばず恩返しをしていく所存です。
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山鉾巡行でフラッシュバックした起業当時の思い出2。捨てる神と拾う神は本当にいるのか。

7月18日
東京での役員を退任し京都に戻ったワタスは新しいメンバーを迎え入れるために増資による資金調達をして引っ越しをしました。それが橋弁慶町。
自分の執務スペースにプランナーブースや会議室も設えました。
これから1年で20人の規模にしなければ資金は枯渇する。元々マネジメント畑のワタスは保険販売に注力せずにリクルートに重点を置き数字を組み立てました。元々描いたのが規模拡大モデル、顧客接点を持つ流通の川下がイニシャチブを握るという保険流通の変革がコンセプトだったからです。
当初の予定通りほとんど給料は取らなくても資金はどんどん減っていきました。
「堀井さん、このまま行けば来月には口座のお金が無くなりますよ」
「・・・」

ギリギリの所で20人を超え、なんとかスケールメリットが効きだして資金は枯渇せずに済みました。その後は比較的に順調に規模拡大が進みだし「京都に急成長している代理店がある」という噂も業界に広まりだしました。
調子がイイ時は、この勢いがずっと続くものだと勘違いするのがアマちゃんですね。更に資金を調達し、勢いに任せてやろうとしていたことを一気に始めました。同じビル内で広さを3倍くらいに拡大、レイアウトもデザイナーに依頼し、什器備品も刷新、ホームページもお金を掛けて大幅なリニュアル。顧客を会員化するHOLOSクラブを立ち上げ、ロンドンの再保険会社と契約して自家共済まで作り、何より自社開発の顧客管理システムに巨額の投資をしました。必ず乗合代理店の顧客管理、顧客サポートの充実を図ることが事業としての差別化になり、プランナーにとっても既契約者が増えてきた時には無くてはならないツールになるはず。どれも起業準備の時から計画していたことでした。
ただ、このあたりから社内の様子に変化が生じ始めます。この頃、更に私が営業ハウツー本を出版、研修講師のオファーがどんどん入りだし、社長である私が企業研修で本社を不在にすることが増えて行きました。
そしてある日、一気に組織が崩壊。
そんな組織体制なんかできていないのに、足元もまだまだ固められていないのに、コンセンサスも取らずに1人で走りだしていたのでしょう。まったく未熟者のアホ社長です。
当時の主要メンバーの多くが当社を離れ独立、たくさんのプランナーもそちらに移籍して行きました。それに伴い本社事務所は一気に縮小を余儀なくされ、せっかく揃えた什器備品も他のオフィスに送り、入りきらないモノは処分、私のデスクは無くなりました。
自分のことが情けなくて涙が止まらない。今まで経験したことの無かった苦い思い出です。
今でも覚えていることですが、書棚の本も置けなくなったので少額でもイイので引き取って貰って換金しようと思い、友人の古本屋を経営する社長に事情を話し取りに来てもらいました。夜中に一人で背中を丸めて本を整理しているワタスを見てその社長はこう言ってくれました。
「あんなケーちゃん、捨てる神あれば拾う神在りて言うやろ。これはな、残ってくれた仲間にも感謝せんとあかんけど、ケーちゃんを捨ててった奴らにも感謝せんとあかんちゅうことや。捨てていった奴らも神さんや思て感謝してたら拾ってくれる神さんもまた来るわな。元気だしぃや。」
以来、当時の自分自身の至らなさに対して申し訳ない気持ちこそあれ、当社を離れていったメンバーのコトを悪く言う気は一切ありません。当社が危ないという風評も立ち、精神的には辛い時期がその後数年続きましたが、残って支えてくれたスタッフやプランナーさん、励ましてくれた経営者仲間たちには心の底から感謝しています。
五条大橋で牛若丸と弁慶が戦っている姿を表している橋弁慶山。
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牛若丸こと源義経は、優れた戦略家であり、君主を助けながらも非業の死を遂げたことで判官贔屓という言葉を生みだし、また後世に義経不死伝説や義経ジンギスハン説など様々な伝説を残した個性的な人物ですが、この橋弁慶町のビルにいた頃の出来事はひょっとしたら影で牛若丸が支えてくれたのかもしれません(妖しい・・)
でもやはり自分を強くするのは自分の体験しかないということ。その体験を他責するのではなく、どう自分ゴトとして受け止めて、どう次に活かすかで自分の未来が決まるということではないでしょうか。
(難局を何とか乗り越え、業容拡大に伴い引っ越すことになったのですが、実はこの烏丸通りに面した銀行さんのビルは当初信用が無いので入居を断られたビルでした)

手洗水編に続く(かどうかは未定・・)
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原点回帰。山鉾巡行でフラッシュバックした起業当時の思い出。

7月17日
今日は祇園祭の山鉾巡行。京都の町中にはこの山や鉾の名前の町名がついているのですが。朝会社に行く手前、烏丸錦小路の角を信号待ちしていると西から山が巡行してきて、その先頭のヒトが「山伏山」の幟を掲げていました。
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山伏山。山伏山町。
実は今から12年前、某保険会社の支社長を辞して起業したとき、初めてオフィスを構えた場所がこの山伏山町でした。それまでは京都市内の一等地のそれはそれは立派な某都銀のビルでまがりなりにも個室に入っていましたのでこの山伏山町の古ぼけたビルの8坪くらいのオフィスを借りた時は、果たしてこの選択は正しかったんだろうかといささか不安に駆られたことを思い出しました。
よくワタスの起業当時のことを自分の支社のメンバーを引き連れて独立したと思われるのですが、事実ではありません。辞意を表明した時は誰にも相談せず、もちろん誰も誘うことなく独立をしました(辞めることが決まって何をするのかと聞かれて説明してからいずれ一緒に仕事をしたいというヒトが集まり始めました)
そのビルには1年程しかいなかったのですが、トイレは和式、なぜか暖房設備が無く冬は自前の石油ストーブを焚いていました。またこの1年は月~金は東京のマーケティング会社と出版会社の営業担当役員として出稼ぎ?に行っており、ほぼ京都にはおらず、電話番兼保全業務をアシスタントに任せきりでした。金曜の終電で京都に帰り、週末に本格的な代理店準備を進め、日曜の終電で東京に行くという生活。休みなしのワタスにとっては肉体的に最もヘヴィーな1年だったかもしれません。
ただ、この1年で、今のビジネスモデルのイメージをほぼ固めました。もしいきなり起業して代理店経営に乗り出していたら、恐らくどこにでもある普通の保険代理店にしかなっていなかったと思います。
過去の持ちモノ、中途半端な地位や肩書、それなりの収入を自らの意志で捨て、一旦人間関係や住むトコロも変えることで私の人生は大きく変わりました。
特殊なフルコミの保険営業の世界から、一般的な組織の全く異業種のマーケティングや販促、出版、教育等に実務で携わり、今までにない人脈を東京で作り、客観的俯瞰的に保険業界を見据えながらこれからの在り方ややり方を固められた貴重な準備期間をこの山伏山町で過ごしたのです。
そしてその後、満を持して本格展開するためにこのオフィスから橋弁慶山がある橋弁慶町のビルに引っ越し。広さも8坪から30坪くらいになり、トイレもウォシュレットこそ無かったものの洋式になり、ロケーションも少し大通りに近づきました。
このビルでは同じビル内で3回も移動することになります。広さを急拡張から急縮小へ。経営することの怖さを体験し自身の不甲斐なさを痛感しました。振り返れば精神的には最もヘヴィーでしたが人間的には最も成長できた数年間だったような気がします。
        写真 2013-07-17 9 19 46.jpg thum_hashibenkeiyama.jpg
橋弁慶編に続く。
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技術や知識に溺れるな。コーチングはまずクライアントニーズを理解することが重要だ

7月14日
毎年ハワイでサーフィンをするとき、一度はレッスンを受けるようにしています。
理由は上手くなりたいのももちろんありますが、最大の理由は一人きりでやっててもし波にまかれたりして溺れてしまい誰も助けてくれなかったら死んでしまうからです(笑)
今年はワイキキビーチのはずれでお願いしたら一昨年と同じロコのドレッド・ヘアーの巨漢コーチでした。日本語はほとんど話せないのですが、それでも当時とても気に入ったので再会できてとてもうれしかったです。
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実は去年は日本人のコーチにレッスンを受けました。日本の著名俳優もコーチをされていて誰でも乗れるようになるという触れ込みをホームページで見て期待して申込みました。
ワタスもビジネスでコーチをすることが間々あるのでこのお二人のコーチを敢えて比較してみますと。
ドレッドコーチはとにかく明るく上手く乗れたら「ヒャッホ~」とか「グゥッ~」とか満面の笑顔で手を振り回して叫んでくれます。たまにパドリングで疲れていたら「タクシー?」って言って私のボードを足で引っ掛けて波のたってるポイントまで連れて行ってくれます。教え方は極めてエーカゲンですがイイ波が来るのをウォッチしながら「パドパドッ(漕げ焦げ)」と指示を出し、恐らくたまにちょっとボードを押してくれたりしてくれてます。つまり自分も愉しみながら相手(ワタス)を愉しませることを優先してくれている感じ。
それに比して日本人コーチはまずはワタスはグーフィー(右足を前に乗る)なのですが、これは元々左利きでもありますし、昔からスケートボード、スノーボード、ウェイクボード等すべての乗り物をその乗り方で乗っていたにもかかわらずスタンダードな乗り方で乗ってくださいとまずは矯正されました。それは「私の今までのコーチキャリアではすべてそうしてもらって、上手くいっています」という理由でした。教え方は細かくて理論的ですが、ずっと違和感があってはっきり言って終わったあとの感想は「愉しくなかったな」と。
どちらのコーチが優秀なのかはこれだけでは判断できませんが。
ま、もしワタスがまだ若くてプロサーファーを目指すなら日本人コーチの教え方も有りかなとは思うのですが、所詮年1回程度で自然と一体となって波の上を滑る爽快感を求めている初老サーファーにすればドレッドコーチに軍配が上がりますね。今回のワタスの場合は今後日本人コーチに教わりに行くことはありません(あくまでもワタスの場合です)
でもこれがゴルフのコーチなら話は別です。ヘタッピでもこれからまだまだそれなりには上手くなりたいと思っていますので、ロジカルに細かく教えてくれるコーチを選ぶでしょうね。
今回、教える技術以前にコーチをする時(特にお金を貰って)はクライアントのニーズをよ~く理解して、そのニーズを汲み取った上でコーチをする大切さを再認識させられました。
技術や知識に溺れるのでは無く、まずは相手を深く理解することはあらゆるビジネスにおいて基本中の基本ですね。ま、今回ワタスは本当に溺れなかっただけでもヨカッタですけどね(笑)
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考えるな。感じろ。波に乗るのも運に乗るのもその判断は一瞬だ(堀井計の午睡更新)

7月13日
今年は強烈に暑い夏ですね。
今、午前8時。セミが元気に鳴いています。自宅でこのコラムを書き始めているのですが、窓越しに空を眺め「今日も身体が溶けそうなくらい暑くなるな」と思った途端、なぜかちびくろサンボの物語が頭の中に出てきました。トラがぐるぐる回っているうちに溶けてバターになるシーン。あのトラたちはなぜ溶けてバターになったんでしょうか。とにかく皆さん、溶けてバターにだけはならないように気を付けてくださいね(笑)
ところで・・
2014年の新卒採用が一段落しました。2001年から事業展開し12年が経過、数名とは言え来年4月から新卒者を迎えることができそうです。何分当社としては初の試み。就活セミナーや会社説明会を何度も開催、今回はすべて直接私が学生さん達に企業という存在の社会的価値から働くことの目的、何を価値基準として企業を選ぼうとしているか、そしてもちろん当社のPR含め熱く語りかけました。
結果、当社を気に入ってくれた学生さん達には申し訳ないですが、数名に絞りこみ内定通知を出しました。その一連のプロセスの中で感じたことは皆それなりの著名大学出身でとても素直でイイ子なのに内定を1社も貰えていない学生がとても多かったコトです。
総務省が発表した2012年の就業構造基本調査によると、全ての労働者に占める非正規労働者の割合は38.2%となり過去最高を記録したとのこと、まだまだ企業にとっては投資覚悟の新卒採用への門戸は固いということなのでしょう。また、せっかく入社できた会社が思っていたモノとは程遠かったり、たまたま配属された部署の上司がイヤな奴でとてもいい会社なのに人間関係で退職してしまう羽目になることもあったり、成長企業に就職しても環境の変化により数年後に破綻して解雇になることもあるでしょう。日本においても生涯転職回数は恐らく3回は超えていますから、結果的に自分に向いている企業に就職でき、その職場で働き続けられる可能性は極めて少ないのかもしれません。
採用する側の立場では学歴や経歴という活字ベースでの判断もありますが、やはりリアルな面接での印象がとても大事です。そして採用判断は面接官の好みや相性、面接者のコンディション(緊張して上手く話せなかったとか)にも寄るところが多いでしょう。
一体何が言いたいかと言いますと、とどのつまり人生は「運」だと。
→http://www.holos.jp/holostyle/?t=1157

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