3月21日
昨日は珍しく会議無しで1日京都にいてクライアントさんを2社訪問したりプランナーさんとランチしながら近況の情報収集をさせていただいたりと充実したゲンバシゴトの後スタッフの食事に乱入し23時頃家に帰ると小学校来の幼馴染が相談があると待ち構えていてひとしきり話しながらうかつにも寝落ちしてしまいうっかり母の命日であったことを忘れていた親孝行したいときには親は無しを経験したからわかる親孝行推進クラブ名誉会長@あとはボンクラツィンズにやってもらうだけのホロス亭エロスこと堀井ですこんにちわ。
ところで。
街を歩いていると袴をはいた女学生をちらほら見かけます。卒業式のシーズンですね。ワタスが今まで生きてきて「卒業」もしくはそれに近いセレモニーを経験したのは幼稚園から大学までの5回と3回の転職(スポーツ用品流通業、生命保険会社、マーケティング会社)、細かいものは資格取得のスクールを数回。振り返ると、「卒業」は別れの儀式ではありますが、その後にすべて「新たな始まり」が待っていたことばかりです。
因みに卒業は英語でグラデュエーション(graduation)ですが米国ではコメンスメント(Commencement)とも言います。コメンスメントの本来の意味は「始まり」。アメリカではまさに「新しい生活の始まり」と捉えています。
なんて振り返っているとワタスはこれからの人生であと何回、どんな卒業をするのだろうと考えてしまいました。御年56歳。平均余命表でいくとワタスの人生はあと26.57年です。 これからもまだ小さな卒業はあると思いますが大きな卒業は二つ。一つは経営者としての「引退」。そしてもう一つは生命体としての卒業である「死」。前者は自らの意志で決めることであり、後者は運命に従うしかないことですのでどちらが先に来るかはわかりませんがいずれにせよそう遠くはない現実に今からどう準備をしていくかを考える時期であることだけは確かです。
弘兼憲史さんの著書「50歳からの死に方」
人生学生時代も社会人になっても卒業をするごとに新たな始まりがあるとすれば、常に悔いなき卒業式を迎えるために「今」に全力を注ぐこと。そして今までに体験したあらゆるコトやヒトとの出会いを学びとし、新たな始まりにワクワクと胸躍らせて次のコトにあたること。一説によれば「死」すら初めてお邪魔したお家のドアノブを回して隣の部屋に入るようなもんだということですからやがて迎える二つの卒業式を愉しみに待ちたいと思います。
間もなく弊社を卒業する社員さんも、もうすぐ弊社の社員になる皆さんもコメンスメント、新たな始まりですね。おめでとうございます。是非夢と希望に胸躍らせて隣の部屋のドアノブを回してください。目に飛び込んでくる次の世界は自らの意志と行動でいかようにも変化するはずですから。