収拾がつかなくなった理事長就任あいさつの続きを書いたら更に収拾不能に。

先日理事長就任あいさつで裏プロフィールを書きブログのイイネが100を超えたら続きを書きますと読者の皆さんを脅したら(笑)お蔭さまで199もイイネを頂戴したので気を良くして続きを書くことにしたここまできたらあと1イイネで200になるのにとつい欲に駆られてしまう永遠の煩悩青年@堀井ですこんにちわ。
記念すべき200個目のイイネを私が押してやろう思う奇特なカタは→http://kei-horii.seesaa.net/article/397325887.html


高校時代の続き。卒業式には悪友たちはほぼスーツ姿で出席するという情報をキャッチしたワタスはここでもやはりヒトと同じスタイルを取らず、わざわざ某私立高校の応援団長の学ランを借りてきて卒業式に臨む(アホですな)

その後大学入学までの長い春休みにはバイトの代わりにパチンコで稼いだ資金で自動車免許を取得。堀井家では免許は教習所に行かず飛込みで取るというシキタリ?がありワタスも当然の如く飛込み受験、兄弟最低の18回目でようやく合格(因みに長兄は1発合格・次兄も数回で合格。原因は練習所にも禄に通わずぶっつけ本番の実地試験を繰り返したこと・・)


大学時代。4年間ひたすら中国語を学ぶ。中国人の先生から「クージントンシュエ(堀井同学、中国語で堀井くん)は発音イイネ」と褒められた程の実力を謎の中国系フィリピン人のマネをして女子大生を笑わせることのみに活かす。同時に体育会自転車競技部に入部。そのクラブは競輪場やロードを走るチームとサイクルサッカーというサーカスの曲芸のような自転車でサッカーをするチームがあり、ワタスは後者のサイクルサッカー班に所属しました。その超マイナー競技はその昔少年キングに水島新司が「輪球王トラ」という漫画を連載していて知っており、マイナーな分だけトップになれる可能性が高いので始めたのですが結果大した実績は挙げられず・・


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また、元々酒が弱くコンパでは常にリバースして倒れていたので存在感を発揮するために宴会芸を磨く。人生幸朗、柳谷金五郎、田中邦衛、アントニオ猪木等のモノマネを得意技とし2回生以降は宴会の後半には必ず堀井コールが起こるようになり、酒が飲めなくても宴会のメインとなる(アホですな)

就職活動ではスポーツ業界を中心に会社訪問。やってもいないのにヘコヘコするイメージの営業職に魅力を見出せず、クラブの大好きな先輩の薦めも有り某大手流通系のスポーツ用品販売チェーンに内定を貰う。社会人直前にはその企業の入社前研修として米国西海岸流通業視察があり初の海外へ。その初海外で舞い上がり研修にもかかわらず羽目を外しすぎた(ここでは書けないことばかり)行動が誰かのチクリに合い?すべて会社の知るところとなりこれは内定取り消しかとビビってたら当時の人事部長が「米国で暴れる堀井はまさに日本の侍や」と逆にわけのわからん評価を貰い事なきを得る(アホですな)


そして社会人。社員のほとんどが大学の体育会出身という超タテ社会の当時日本最大のスポーツ用品販売チェーンに入社。1年目は販売員として自転車、釣り道具、アウトドア用品等を担当し売り場の陳列、販売、仕入れ、在庫管理を覚える。先輩と共にワタスがモデルとなってギャグをかましながら山登りをする商品プロモーションビデオを撮影し、売り場で流したところオモロイと評判になる。

また学生時代の延長で宴会では常に主役を張り、新人でありながら目立つ存在だったことからか労働組合の執行役員に抜擢される。色んなスポーツ用品を売るためには色んなスポーツを経験しないとダメだということで給料やボーナスはすべてその道具やプレイ費にあて、生まれついてのミーハーなワタスはヨットやスキーにのめり込み常に貯金はゼロ状態。


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その後新業態のディスカウントショップを大阪梅田にオープンするということで更に抜擢され移動。社内随一のゴンタで名高い店長が上司となり今の世の中では信じられない恐怖のブラックマネジメントを経験することになる。

と、またまた就任あいさつまで辿り着けず収拾がつかなくなっちまいました。ブラックマネジメントの内容の続きは更に改めて書くことにしますので「もーえーわ・・」と思うヒト以外はお愉しみに(もーえーわ・・)

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