理事長就任あいさつ。改めて自己紹介を書きだしたら収拾不能になりました。

弊社の自分好きNO.1の某役員が最近スタバCEOの早起き習慣に触発されて朝型に切り替え早朝トレーニングを初めてから体脂肪率も順調に減らしているらしいのでワタスも朝型にチェンジしようかと想いながら昨晩寝床につき本日目が覚めたら昼前だった歳をとってもいくらでも寝られる永遠の能天気少年@堀井ですこんにちわ。


ところで。


私事?ですが、先週15日「一般社団法人保険代理店協議会」(http://hodaikyo.org/)の理事長に就任いたしました。と言っても6回目の再任です。本来なら任期満了につきそろそろお役御免というところなのですが、なにせ今般の保険業法改正という業界の一大事に足をズボっと踏み入れたばかりに中々そこから抜け出せずに今回も再任というところとなりました。元々リーダーシップの無いワタスが大激震の乗合代理店業団体の長を長期間に渡りお引き受けすることに「お前一体いつまですんねん!」というお叱りの声も聞こえてきますが。


「頼まれごとは基本謹んで引き受ける」

ことを人生の活き方にしております故何卒ご容赦下さいませ。


ということでワタスのプロフィールはそれなりに公開されてはおりますが、ここは節目ということで改めて通常には記載されていない「裏プロフィール」を公開したいと思います(え?別に知りたくない?)保険業界、監督官庁の皆さま方もひょっとしたらこのブログをご覧いただいているかと思いますが、ワタスの裏プロフィールをもご理解いただきました上で今後ともご指導ご鞭撻をお願いできますればこの上なく幸甚でございます。


『かつての織物の中心地京都西陣の商売人の三男坊として生まれ育つ(因みに父方のルーツは三重県松阪の旅籠、母方のルーツも三重県伊賀の薬問屋ということです)近所に五番町(元遊郭)、千中ミュージック(ストリップ劇場)等歓楽街があり、いわゆるあまり柄の良くない土地柄。父は親(祖父)の後を継いで3兄弟で醤油屋をやりながらなぜか税理士もしていた。


幼少時代。ヒトと同じことをするのが嫌い(理由はわかりませんがこの価値感が人生の至るところに見受けられます)な子供。お小遣いを貯めてはゴム製のイミテーション(蛇、トカゲ、金づち、う〇こ等)を買ってヒトを驚かせることに夢中になる。習字、そろばん、水泳等習い事をさせられたがすべて長続きせず。勉強も運動もそこそこ。生まれつきの左利きを先生から矯正されるも直すことことなく貫く。この頃から既に面白いコトを言って笑わせることに目覚める。


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50年以上前の変顔をする3兄弟と真面目顔のいとこ。因みにワタスは左端・・


少年時代。小学校5年生の時田舎の小学校に転向。都会からの転校生かつ「計」という変な名前かつ生来の人見知り?ゆえ、多少イジメにあうも2学期には学級委員長。以後成績もそれなりによくオモロイことも言うので児童会役員に推薦され続ける。芸術的才能があり?絵と版画と習字の作品をそれぞれ学校から代表作品として1枚づつ出展するのにすべて私の作品が選ばれる。運動はチビで体力は無かったがすばしっこく器用でソフトボールではピッチャー、サッカーはエースストライカーだった(多分)

学芸会やクラスの余興では常にプロデューサー的役割の担当し、当時の人気TV番組、素人名人会や親父万歳、万国びっくりショー等をアレンジしては先生達も巻き込んで出演させ、自分はもっぱら司会をしていた。


中学時代。人生で最も目立たなかった不完全燃焼期。サッカー部に入部するも2年生でケツを割る。成績はまずまず。この頃からファッションセンスがあり?長ランが流行ればむしろ短めの学ランを好み、カッターはすべてボタンダウンシャツ。自転車は当時世の中のほとんどが黒フレームのウィンカー着きセミドロップハンドルだったがワタスはサイクルショップでオーダーした真っ赤なフレームのシンプル一文字ハンドル(かなり今風)で通学。当時ヤンキーの中で流行っていたアンパンシューズ(つるっとしたぺったんこの紐無しズック靴)を自分でオリジナル化、わざわざ穴空け器を買って穴をあけて紐靴にしてヤンキーたちに羨ましがられたり、ペッタンコの学生鞄が流行れば自分は親父の古い革製のカメラマンバックを通学カバンにしていた。


高校時代。私服、バイク通学OKの自由な校風の公立高校へ。当時ダックスホンダが大人気でほとんどがそれを親に買って貰って通学していたがワタスは中古の商業用のホンダスーパーカブ(後にホンダモンキーに乗換)で通学。部活は部員が足りなくて試合ができないハンドボール部の助っ人部員をしながら少年マガジンで連載された空手バカ一代に触発され空手道場に3年間通う(剛柔流初段)授業はサボっても怒られない校風?でパチンコの開店や雀荘に入りびたり必然的に成績は伸び悩む。「俺には俺の生きかたがある」等加藤諦三氏の著作を読みふける。大した受験勉強もせず推薦で京都産業大学に合格。ここでもほとんどが経済学部や法学部を選ぶ中、ウケを狙って外国語学部中国語学科へ。』


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高校三年生・・・


書いてるうちにえらく長くなってきたので大学以降と本題の就任あいさつはまたの機会に(イイネが100を超えたら続きを書きます)

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