どれだけ生きたかよりどう活きたか。どぜう鍋を食べ同世代の死に思ふ。

3月19日
先週末は体調の異変に気づきながらも当社体育会スキー部合宿を強行し帰る頃には高熱で立っているのもやっとの状態となりそのまま寝込んでようやく熱は引いたものの未だ完治しないまま頭耳喉口内の痛みでテンションが上がらないまま既に週の半ばを向かえ起死回生の深川どぜう鍋を胃袋に納めたうえで今日は早く寝ようと心に誓いながらもパソコンに向かってピコピコしている有害電磁波撲滅推進プロジェクト補佐心得@堀井ですこんばんわ。
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ところで。
55歳にもなるとちょっと体調がすぐれない日が続くとつい「そろそろ死ぬかも・・・」なんて考えが頭をよぎるのはワタスだけでしょうか(え?ワタスだけ?)
でもしかし。
霊長類最強女史吉田沙保里選手の父吉田英勝氏、享年61歳。元福助社長国会議員藤巻幸夫氏、享年54歳。元アイドル歌手安西マリアさん、享年60歳。
現在満55歳のワタスにとってこの方々の年齢は大きなくくりで言えば同年代と言えましょう。生命保険のシゴトをしている訳ですから統計的にも一定数の方々は亡くなっていくのは当然のことと頭の中では理解しているものの、やはり一方的にでも知己のヒトが立て続けに亡くなると自分自身に照らしあわせて考えてしまいます。
「俺ももういつ死んでもおかしくないな・・・」と考えてしまうのです。
ま、そんなこと言ってる奴に限って長生きするという話しもあるのですが・・・とはいえ日本人の平均寿命は明治時代ではたったの39才。大正時代で43才。昭和に入ってからでも1947年(S22年)では52才。今のワタスは充分平均寿命を超えてると言う恐ろしいデータです(あくまで平均余命ではなく平均寿命ですが)考えようによっては 今の日本人は平均寿命から言うと大正時代のヒトに比べて人生を2度やってるようなものですね。
とは言え。
人生はとにかく長生きすればいいという単純なものではありません。もちろん「永遠のゼロ」のように特攻で死んでいった若者たちに比べれば生きてるだけで倖せと感じるわけですが、それでもどれだけ生きるかよりもどんな活き方をするかのほうがはるかに大切だと、何年生きたかよりどう活きたかの方が大切ではないかと思うのですがいかがでしょうか。
ワタスにはまだまだやりたいことが一杯ありますが、その反面今死んだとしても差ほど悔いはないような気もしてます。それは今までも今もそれなりに充実した毎日を送れているからなのでしょう。
健康の有難さ。仲間や大切なヒトがいる有難さ。シゴトがある有難さ。夢がある有難さ。多少でもお金がある有難さ。そんなたくさんの有難さを噛みしめながら体調を整えようと思います。皆さま方も季節の変わり目で寒暖差も激しくなり、自律神経のバランスも崩しやすいシーズンに入っております故、健康にはくれぐれもご留意下さいませ。
ワタスのようなシニア世代でも健康でさえあれば、まだまだ夢を持ち、その夢を叶えることは充分可能です。そしてその夢をより叶えやすくするためにも信頼できるナビゲーターの存在が必要なのではないでしょうか。もし信頼できるパートナーをお求めの方は是非こちらにご相談下さい→http://www.holos.jp/index.html
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