就活面接。黄砂のせい?これは俺の目が曇っているのかそれとも社会が曇っているのか

東北大震災が起きてから2年と2日が過ぎました。震災に関して何かブログに書こうかと思いましたが実は直接的に復興に貢献していることが無く書けないまま2日が経過してしまいました。

今の私にできることは目の前の仕事に夢中になることしかできません。でも北京の蝶(北京で1匹の蝶が羽ばたいたら、ニューヨークでハリケーンが起こる。バタフライ効果)ではないですが目の前のヒトを喜ばせたり役に立つことをやることが結果社会の役に立つことと信じて行動していきたいと思います。被災地、被災者の方々お役に立てずにごめんなさい。

ところで。

昨日、今月3月に卒業予定の就活生の面接をしました(第2新卒含む)
本来ならとっくに内定が出ていて、早い企業なら入社前研修が行われているこのタイミングで決まっていないというかなり出遅れた学生達。

その先入観からかワタスも面接を行う前は「やはりそれなりにそれなりのそれ相当の理由がある学生さん達が来るんだろうな・・」と思っていたのですが。

それがなんと意外にも(失礼)
「えっ?何で今まで決まらなかったの?」っていう印象なんです(3名とも)
新卒2名は数十社、それも中小企業含めて面接に行き、ことごとく断られてきたとのこと。

ワタスはここ20年、新卒採用こそ無いもののリクルートすることを仕事にしてきましたし、様々な大手企業で新入社員研修を行い、直接コミュニケーションもしてきましたので決して目利きが無い方では無いと思っているのですが。

彼らが今まで企業で評価されてこなかったということは、ワタスの目が既に曇っているのかと少し不安に思ったのですが。

ただ、横で一緒に面接していた常務も同感だということなので曇っていないということにしておきましょう(2人とも曇っているという可能性もありますが・・)

とすれば。

少し落ち着いて考えたのですが、こんな未来ある若者が就職できない日本の状態自体に問題があるのではないかと(1人は某有数の国立大学)

良い人材を採りたいと思う企業ニーズは当然ですが、たかだか20年ちょっと生きてきた若者がその過去の評価と面接というヴァーチャルに近い空間の評価でハタラク機会を得られないのは少し酷ではないかと。

企業が彼らに成長機会を与えてあげれるだけの余裕を持たないと日本の未来は明るくないのではないかと思ったわけです。

アベノミクス効果が徐々に出始めているようですが。

失われた20年を政治だけのせいにするつもりは毛頭ありません。

今ワタスタチにできることは目の前にある仕事、目の前にいるヒトタチのお役に立てるコトに集中すること。

そして感動の数(売上高)と感動の質(利益)を上げながら。

企業の存在価値は顧客貢献(商品やサービスの提供で貢献する)であり、社会貢献(納税やCSR、社員の経済基盤作り)であり、そして共育機関(人材を育てる器)として、人格形成から専門的能力の習得、様々なスキルアップ等幅広く「活き方」を教える学校でもあるのだと捉え。
少々の欠点には目をつぶり、未だ眠っている若者達の潜在能力を開花させてあげられるだけの余裕を持った企業に早くなりたいと強く思った次第です。
追伸(書いてるうちに気づいたこと)

「育てる」ということは独り占めしないで「分けてあげる」ということ。分けてあげる為には「余裕を持つ」ということ。

時間の余裕。心の余裕。お金の余裕。

時間と心とお金の余裕があれば、自分の収入の取り分をちょっと抑えてでも新しいヒトを入れて育ててやろうという気持ちが生まれます。

結果的にはその方が楽になり、自分に返ってきて、そしてミンナが倖せになるのではないでしょうか。

ワタスと一緒に余裕たっぷりの活き方を目指しませんか?

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