本日は母校京都産業大学の「坂井東洋男教授の学長退任を祝う会」でした。
坂井東洋男元学長はワタスが大学に入学した当時は中国語の先生(当時多分助教授)をされており。
ワタスとしたら4年間中国語を教えていただいた割には全く仕事に活かすこともなく、しいて言えば飲み屋のオネーチャンとの会話で実はワタスは中国系タイ人で名字は珍、名前は北斎、続けて読めば珍北斎という究極の下ネタギャグをかれこれ30年以上継続していることだけが中国語を学んだ成果という誠に情けない教え子なのでありますが。
本日列席されていたOB達約70名のカタガタはかなり本気で勉学に勤しんだ様子で、大学や民間で中国語を教えたり通訳をされていたり、中国系の商社で働いていたりと4年間の学費を無駄にせず現在も活躍されているカタが多く、ワタスはかなり肩身の狭い思いで参加させていただきました。
もう30年以上前のコトですが当時先生を初めて見たとき、そのルックスと体格が毛沢東と大木金太郎を合わせて2で割ったようなかなりのインパクトで、この先生に頭突きをされたら確実に死ぬなと思った程タダモノではない雰囲気を醸し出されていました。
その後就職活動の時はわざわざ電話を貰い、君は見かけによらず(・・・)成績が優秀なので学校推薦をしてやるから大手商社を受けてみろと気にかけていただいたり(見事に落ちましたが)、起業してからワタスが出版した書籍を大学に寄贈したときにはわざわざ学長直々に感謝のメールをいただいたりしたのですが。
本日改めて再会し、その凄さに改めて「30年以上前に只者ではないと思った恩師はやはり只者では無かった」と思ったわけです。
どこがタダモノではないと思ったかと言うと。
先生は大学の非常勤講師から学長にまで登りつめ、3期8年間学長を勤め上げられた話を冒頭にされたのですが(一般企業でいう大出世物語)学校初の推薦就任で、立候補もしていないのに所信表明を書けと言われていかに自分が学長に向いていないかを10か条にまとめて発表されたにも関わらず選出され、自分で向いてないと認めたうえで選出されたのだから何をやってもイイだろうということで数々の学校改革に乗り出されたと。
例えば教授の70歳定年を65歳に引き下げられたり。
イタリア大聖堂の学生落書き事件でのマスコミ対応でいち早く記者会見を行い、オープンで正直な発言をしたことで、結果共感を得た話や。
当時客員教授だったノーベル賞を受賞された益川さんがまだ受賞されていない時に将来を予見し、周囲の反対を押し切って専任教授にしたこと(これにより大学の認知度が上がり学校の人気も急上昇したと)等とてもエキサイティングな話を拝聴しました。
また、30年以上前の学生とのやり取りを一人一人挨拶するたびにちゃんと覚えててその場で当時の話を再現されます(自分のことに関心を持ってて貰っただけで人はその人のファンになります)
そしてスピーチがとてもわかりやすく面白いので引き込まれ、最後に必ずオチを作って〆られる(もっとこのヒトのハナシを聴きたいと思う)
先生はきっと企業経営者としても凄い手腕を発揮されたことでしょう。
更に今先生は2年前に大病をされたにもかかわらず、新たに別の学校に招へいされ、新たなミッションに情熱を持って臨まれています。
最後に印象に残ったメッセージですが。
「子供は成績がすべてでは無い。むしろ大事なのは活力。我が校の学生には元気、活力があった。頭を使う活力が社会では必要なんだ。」と。
その言葉を熱く語られる、70歳に手が届こうとする先生自体がその活力に溢れ輝いておられました。ワタスもあと15年後にもし生きていれば、坂井先生のように魅力的なヒトとなり、後進に活力を与えられる存在になりたいと思った次第です。
タダモノでない恩師に恵まれたワタスは本当にバチモノシアワセモノです。