新春特別号。初夢小説「快賊とよばれた男たち」

イントロ

「今回の規制強化で委任型募集人は数万人の失業者が出るかもしれないな。」
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急転直下、金融庁より委任型募集人(注1)が法律違反になると通告されたことを受け、計造はその計り知れないインパクトに心が痛んだ。


13年前、国島計造は42歳で某保険会社をドロップアウトして起業に踏み切った。その理由は保険営業マン(カタカナ生保でいうライフプランナーやライフアドバイザー)と言う仕事の発展形を創りたかったからだ。営業力に長け、金融全般の専門知識を有し、フリーエージェント(注3)という雇われない活き方を選択した真のプロフェッショナル集団。顧客貢献を追求した時に「乗合」という複数社の保険商品を扱うことは必須だった。計造は平成8年の規制緩和によって生命保険も乗合ができるようになったことを受け、一部の業界のトップセールス達がいち早く乗合へと移行していくのを知っていた。ただ、そのセールスマンや組織は個性が強いがゆえに設立間もなく空中分解したり崩壊したりするのを目の当たりにしてきたことで計造は創業時からただ売れれば良いという発想を捨て、4つのC(コンセプト・コンサルティング・コミュニケーション・コンプライアンス)を掲げ、「質」の追及をしてきたつもりだ。


それから10年余り、この業態は顧客のニーズにマッチし、正に追い風に乗り順調に成長してきた。しかし、この業態(委任型募集人)は想定以上の速さで成長し過ぎたこと、規制の厳格性が不足していたことが裏目に出た。


過去生命保険業界は大手生保の独断場だったと言える。戦後の奇跡的な復興、高度経済成長の波に乗り、生命保険のニーズは高まり、一時は世帯加入率が93%までになった。戦争未亡人救済から端を発した保険のセールスレディはピークで40万人を超えた。国民が保険会社に支払う保険料は年間40兆円を超え、その莫大な資金を運用する機関投資家という側面で言えばまさにザ・生保は国を支える重要な業界でありお得意様となったのだ。

そしてそこに割り込んできたのが乗合代理店という新業態である。

当時(平成8年)の大蔵省銀行局保険部長は、
http://www.holos.jp/holostyle/?t=1163(堀井計の午睡に続く)

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