哲学論。真の成功者や仁徳者が到達する境地とは

7月26日
新幹線の車窓から雄大な富士山が見える。感動する。
映画「ソウル・サーファー」を観る。感動する。
なでしこジャパンがロンドンオリンピックで金メダルを取る。感動する。
子供が運動会の100m走で1等になる。感動する。
よくよく思えば感動は自分自身のコト以外ですることの方が多い。
もちろん自分自身のコト、例えば世界チャンピオンになったボクサーは今までの厳しいトレーニングに耐え、悲願のチャンピオンベルトを巻いたとき、その達成感に涙するという場合もある。でも自分自身のことで涙を流すほど感動する経験をするコトは人生の中でそんなに多くはないのではないだろうか。
もし何度もあるというヒトは凄まじい努力家か傷ましいナルシストかどちらかである。
因みにプチナルシストのワタスもスピーチや落語や業績等でヒトサマからお褒めの言葉をいただくと素直にとても嬉しいし今後の励みになるのですが、それは感動というより嬉しいという感覚。
なぜそんなハナシをするのかと言うと。
先日某外資系保険会社主催の研修会でバス1台をチャーターし、全国の代理店経営者さんたちが当社見学に来るというイベントがあり。
当社女性スタッフにそのアテンドを任せたところ。
その企画、演出、ガイド、そして根底に流れるホスピタリティがワタスの期待値を超えていてその光景を見てとても感動し。
その上見学に来ていた経営者さんや保険会社のスタッフさん達が口を揃えて「社員さんの素晴らしさに感動しました」と聞くにつけ、更に感動が増幅するのを感じたわけである。
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この感覚は。
自分のコトを直接褒められる(例えば素晴らしい経営をされていますねとか)よりスタッフを褒められる方が遥かに嬉しいんだなということと。
細かく指示命令したことを遂行させるより、主旨だけ伝え、あとは信頼して任せて結果を出してくれる方が遥かに遥かに嬉しいんだということに改めて気づかされたということである。
これはひょっとしたら直接「凄いですね」と褒められるより、間接的に「〇〇さんが凄いと褒めてましたよ」と言われる方が嬉しいのとも近いかもしれない。
人生は感動が少ないより多いほうがイイとすれば。
(自分)より外(他人)に関心を持ち。
外を活かすためにハタライたほうが結果自分自身が感動に満ちた人生を贈れるということだ。
更に深く掘り下げれば。
その感覚になるには今の自分を完全肯定し、自分への関心を無くすこと、つまり自分はもっと成長しなければという思いが強いと関心のベクトルは常に内(自分)に向いてしまうので、それでは本気で外に関心が移行せず嫉妬心や競争心が優先し、外に本気で喜んだり讃えたりする心が持ちにくく結果感動が少ない人生になるというとだ。
つまり。
真の成功者や仁徳者とは。
年齢や実績に関係なく、今の自分自身を完全肯定したヒトなのだ。
とにかく。
この考察が合っているかどうかはわからないが。
感動とこの気づきの機会を与えてくれた当社スタッフの皆さんには心の底から感謝したいと思うわけである。
本当にありがとう。
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