4月6日
10年前の今頃。僕は晴れた日なら富士山が見える恵比寿の高層ビルの24階にいた。
朝礼で40名程の社員を前に着任の挨拶をした。
全員が「このちっこいオッサン突然現れて一体何者?」という訝しげな表情で見ているような気がした。
「今日から営業の責任者で着任する堀井です。今朝京都から始発の新幹線で来ました。何とかギリギリ間に合いましたがこれから毎日電車通勤はチョット厳しいです。」
ギャグのつもりだったが完全に滑った。誰一人ピクリとも表情は変わらなかった‥
独立を機に引受けた仕事。独自のデータベースを武器に大手企業に対してマーケティングの支援をする仕事。もちろん完全な門外漢。いきなりその会社の代表は私の実力を買いかぶっていたのか、私を中枢のゼネラルマネージャーとその子会社の世界一歴史あるライフスタイル誌を発刊する出版社の取締役に据えた。
全く未経験の異業種で前職で培ってきた営業スキルやマネジメントが使えるのか。
フルコミッションの世界で生きてきた価値観やビジネススタイルが一般企業の組織に馴染むことができるのか。
専門的な知識もスキルも無い突然やってきたオッサンを20代中心の生え抜き社員たちが認めることはあるのか。
暫くは不安だらけだった。
何より42歳で前職の支社長という肩書や数千万の報酬を一旦捨てたこと。多額の借金をして買ったばかりの自宅の完成を待たずにワンルームマンションに単身赴任したこと。立ち上げたばかりの自分の会社は当初から手伝ってくれたスタッフに任せ切りの放置状態で前向きな業務はなにひとつできなかったこと。
俺はここで何やってんだ?何のために沢山捨てて何をしようとしてるんだ?
慣れない仕事、慣れない関東弁の社員達とのやりとりでクタクタになって夜中に部屋に帰り、コンビニのおでんを食べながら良く自問自答したものだ。
そんな生活が1年続き、そしてあれから10年の歳月が流れた。
思えば僕の人生に取って、僕の人生を変えた貴重な1年だった。あの1年が無ければ今の会社は無かっただろう。
でもこれはあくまでも僕側の話しで。今だに思うことは、僕はあの会社やクライアントや、何より部下たちの役に立てたんだろうかということ。はっきり言ってこの一点に自信が持てない自分がいる。僕だけが得て、何も与えていないとしたらこんなに申し訳ないことはないと。
ただ救いなのは、当時の沢山の部下たちが結婚披露宴に呼んでくれたり、家庭を持って家に遊びにきたり、保険の相談をしてくれたり、独立した奴らとの情報交換や応援、僕を招聘してくれた社長も未だに事業支援をしてくれてるし、そして何よりその企業との事業提携がこれから始まろうとしている。
よく日本経済の成長が止まったままの状態を失われた10年とか20年と表現されるけど、少なくても私にとってのこの10年は失われた10年とは程遠く、かけがえのない成長できた10年だったこは確かだ。
今日と明日は東京出張です。
その当時の部下たちの保険の見直しと、個人的な仕事の悩み相談と、会社への研修の提案と新しい事業の打合せを予定しています。
上記は取り止めもないこの10年の1年目の記憶でしたが、その後も数々の思い出深い出来事や出会いがありました。
おいおい物語風にしてWeb小説として出稿していこうと思います。
50年以上かかって何となく気づいたことは。
やはり運はヒトが運んできてくれるということと。
夢を持って生きることは大切なんですが、人との付き合いは将来を見据えて付き合うのではなく、今日の出会い、今の付き合いに全身全霊を傾けることではないだろうかと思う新幹線@堀井なのでした。
あ、今車窓から素晴らしく雄大で綺麗な富士山が見えました。早速facebookにUPしよう!
では今日も傍楽き〜MAX!