命日の誓い

3月20日
22時30分。
「ただいま~」
「おかえり!今日、お母さんの命日やし、お仏壇にお参りしいや。」
「へっ!?そ、そうやな・・」
すっかり忘れていましたふらふら 母親の命日。
もう10年になります。
当時(1997年3月)私は某保険会社の支社長で、支社メンバー全員で熱海に合宿中。
夜の大宴会の最中に急逝の電話。
一人暮らしのお風呂の中で死んでいるのを偶々実家に立ち寄った兄が発見。
「た、大変や~おかんが死んどるがく〜(落胆した顔) すぐに戻ってきてくれ~」と携帯電話の留守電に入ってた兄の上ずった口調の伝言は今も耳に残っています。
翌日の会議をキャンセルし、そのまま夜行に飛び乗って京都に戻りました。
親父を先に亡くし、パーキンソンで少し身体が不自由になっていた母を気遣い、2世帯住宅を検討していた矢先でした。
あれからもう10年か。
早いものです。
親への感謝の気持ちや思い出は何年たっても忘れることはありません。むしろ歳を取るにつれ強まってきます。
それは、もちろん血のつながりや遺伝子の影響もあるのでしょうが、深い愛情を注いでもらい、人生に影響を与えてもらったからこそ感じるもの。
人間の存在価値とは、いかに偉大なことを成し遂げたかではなく、いつまでもヒトの心に残る「何か」をどれだけ周りのヒトに残せたかによるのかもしれません。
かのマザーテレサも、恐らく偉くなろうとか有名になろうとか、そんな気持ちはこれっぽっちもなく、ただ目の前の死を待つヒトタチに差別なく献身的な愛を注ぎ、看護をされたのでしょう。
親が子に与えるような無償の愛を万人に与えることは極めて難しいかもしれませんが、まずは今目の前にいる大切なヒトタチすべてに良い影響を与える言葉や振る舞い、優しい笑顔、理解し合えるコミュニケーションを心がけたい。
って小さな誓いを。
大好きだった母の命日に立てました手(チョキ)(命日忘れてたけど・・・)

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