93歳と伊賀忍者の巻

5月5日
93歳のおばさんと行く伊賀の里奇行(紀行)二日目です。
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                上野城
伊賀といえば。
忍者や俳人「松尾芭蕉」出世の地で有名です。
ここで怪しい仮説ですが(またか)
松尾芭蕉は忍者だったという説があります・・・
少し能書きをたれますと。
元々忍者の起源は古く遡ることができ、その発祥については諸説がありますが中国の兵法書『孫子』でも間者(スパイ)として解説されていたり、飛鳥時代には、聖徳太子が、大伴細人(おおとものほそひと)を「志能備(しのび)」として用いたと伝えられています。
またそのルーツを辿ると驚きの事実(仮説・・)がく〜(落胆した顔)
不老長寿の薬を求めて秦から徐福という法士が旅立った先が日本で、その従者に「秦の河勝」という大陸からの帰化人がおり、実はこのヒトが聖徳太子のスポンサーであり先日ブログで書いた京都太秦の「蚕ノ社」縁の氏という説があります。→http://kei-horii.seesaa.net/archives/201004-1.html
つまり秦氏が何らかの形で、聖徳太子に忍者を使うことを決意させたと見るのが自然なのかもしれません。
松尾芭蕉=忍者説に戻りますが・・
江戸時代に全国を旅することは費用もさることながら各関所を通ることも簡単ではありません。
またあの有名な「奥の細道」の移動距離と所要時間は一般人では到底無理だとか(相当な健脚)
どうやら芭蕉は「幕府が公認した密偵」として手形と資金を提供されていたようです(あくまで仮説)
怪しい話の続きを知りたいヒトは↓


で、今日訪れたのは「栄楽館」という生涯学習センター。
              栄楽館門前2.jpg
         栄楽館正門http://www.kankomie.or.jp/db/result.php?id=3093
このお屋敷が祖先の住居だったことを確認するために93歳生き字引おばさんを同伴。
母の父方がその昔、江戸時代に城下お抱えの生薬問屋を営み、このあたりの町年寄だったらしく。
その後放蕩息子のお陰で没落しバッド(下向き矢印)(ワタシがその生れ変りという説も・・たらーっ(汗)
明治時代にその屋敷は売却され祖先は東京に出てきたらしく。
おばさんは見るなり「ここに間違いないわ手(チョキ)」ってかつて売却後料理旅館になっていた時に訪れた記憶が蘇り。
            栄楽館室内2.jpg
何度も何度も冥土の土産ができたと喜んでおられましたるんるん
(周りのリアクションが微妙でしたがあせあせ(飛び散る汗)
これまた仮説ですがドコモポイント
忍者は間者(スパイ)として全国を隠密行動する際に薬屋に扮することが多く。
ワタシの祖先は殿様の命を受け、伊賀の忍者を薬の行商に扮装させて諜報活動を行う情報収集基地を営んでいたのではないかと。
なんてことを一人で想像しながら(口に出したら親戚からも怪しい奴と思われるので出しませんでしたが)
93歳のおばさんと行く伊賀珍奇行はお開きとなったのでした。
ご先祖様からパワーも貰ったので明日から仕事やりまっせ~手(パー)
取り敢えずは分身の術の練習から始めようちっ(怒った顔)(こらあかんわ)
           伊賀上野10.05.05.jpg
       どんな忍法を修得したいですか↓
          

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