足るをしらず

5月20日
毎朝通勤で通る烏丸通り沿いにある会社ビル
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報道陣で黒山の人だかりがく〜(落胆した顔)
そーです。
かの有名な京都を代表する財団法人。
通称「カン○ン」ですあせあせ(飛び散る汗)
今朝のニュースで。
元理事長と副理事長の逮捕がいっせいに報道されており。
元副理事長の何かの表彰式でのスピーチがビデオで流れ目
その内容がなんと。
「謙虚さを忘れず。足るを知ることですパンチ
と強調されておりました。
因みにこの言葉は同じ京都の竜安寺石庭のつくばい。
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「吾唯足知」(ワレ・タダ・タルヲ・シル)のこと。
これは「私はただ満足することを知っているだけだ」という禅の極地を書いたものです。(漢検何級なら読めるのでしょう・・)
幸せになることの根源というのは。
ただ満足することを知っているだけ。それによって「幸せ」になれるという禅の奥義のことで。
あれが足りない、これが足りないと言っている間は、決して幸せになることななく、今「私」が置かれている状況が幸せの極地なのだということに気がついたなら、私たちは今この瞬間に「幸せ」になることができるという考えです。
この言葉を私利私欲に走った(と言われている)財団法人の元副理事長が大勢の政財界の列席者の前で熱く語っている姿を見て。
自分も気をつけようあせあせ(飛び散る汗)
と思いました。
ヒトは(自分も)人前や文章(ブログとか)で、どうしてもかっちょいいことを表現しがちです。
特にチョット有名になったり実績を上げると、その結果での評価が先行し、聴衆側に聞く態勢ができてしまうので。
心にも無いことやできていないことをさも実践しているように語ってしまい。
(少しは背伸びして、まず言葉にしてから実行に移すほうが成長するのも事実ですので一概に悪いとは思いませんが。)

やはりあまりにも事実と乖離していると、化けの皮が剥がれた時の反動が大きい。
だから。
無理に自分を大きく見せることは控えようと。
所詮ヒトは「言動」ではなく「行動」で判断されるものだと再認識したワケです。
元理事長親子は幸せだったのでしょうか・・
取りあえずこれから大きくみせるのは。
身長だけにしておこう手(チョキ)

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