4月6日に肺ガンステージ4、俗に言うところの末期ガンの宣告を受け、あまりのショックに自暴自棄になり、こうなったら未だ閑散とする嵐山を全裸でスキップしながら植木等の「だまって俺について来い」を歌いたい、という衝動に駆られる気持ちを何とか押しとどめ、何が何でも治してやろうとあらゆる手段を講じて早や2カ月が経過した、まだもう暫くは3密厳禁の経営者@マッキー(末期)ホリイことケーホリーですこんにちわ(更に完全に開き直ってます・・)
実は、この2か月間リアルに人に会うということを極力避けてきたので、ひょっとしたら既にこの世にいないのかもとか、やせ細って骨川筋衛門(死語?)になっているのではないかという噂も聞こえてきたので、ちゃんとそれなりに生きているということをお見せしようとオンラインセミナーのスピーカーとして登壇することを決めました。その案内をSNSで5月26日に案内したところ、なんと600名を超える参加者にエントリーしていただいたようです。
これは「もうこいつの顔を見るのも最後になるかもしれないしな」という惜別の想いがクリックに繋がったのではなかろうかと想像しております(笑)本番(6月10日)には元気な顔をお見せできるよう万全の体調で臨む所存です。
さて。
前回は初めて総合病院のガン患者専門病棟に足を踏み入れ、主治医との初めてのコミュニケーションのシーンをお伝えしました。これから精密検査を行い、私の病状を確定した上で今後の治療方針を決めると言う前段階です。
そしてそのための最重要検査である気管支鏡検査に行く日程が決まりました。
はい、ここから先がvol.7です。
3月25日。今日は朝から絶食だ。毎年受けていた人間ドックの時とそこは大きく変わらない。ただ、いつもは食道から胃にカメラを入れるのだが今回は気管から肺にカメラを入れるのだ。胃カメラでも苦しいのに気管支からカメラを入れられた日にゃあ、苦しくないわけはないだろうと思うとかなり憂鬱だった。
受付を済まし、ほどなくすると名前を呼ばれた。まず検査の前に喉への麻酔。霧状の麻酔薬を吸入し更に筋肉注射を打たれた。看護師に聞いた。
「これは麻酔ですか?」
「軽くボーっとするようにします。」
「完全に寝ている間にやってもらうことはできないんでしょうか?」
「それが先生が嫌がるんですよね。痛みの反応とかを診たほうがいいそうで・・」
「・・・・」
痛みの反応を診たい・・ということは絶対痛いということやんか・・
今年の人間ドックでは敢えて苦手な胃カメラと初めて行った大腸カメラを麻酔で寝ている間にやってもらえるクリニックを選んだだけに、結局は恐らくこれから始まる検査ではそれに匹敵する、いやひょっとしたらそれ以上に苦しい検査をしないといけないことになっちまったと心の中で苦笑いするしかなかった。
すると間もなく、検査室の扉が開いた。どうやら前の人が終わったようだ。見た感じ僕よりかなり年配の方が車椅子に乗せられて出てきた。
「堀井さん、お待たせしました。」
検査室に入ると、中には結構な数の人がいた。はっきりは覚えていないが、そこには医師か検査技師か不明の人が2人。看護師が2名、それとガラス越しに全体を指示するような偉いさん?がこちらを見ていた。なぜはっきり覚えていないかというと、部屋に入るなり、その中で最も若そうな人が、
「はい、こちらにあおむけに寝てください。それからこれを咥えてください。」
と言われ、口にマウスピースみたいなもの咥えさせられ、そのまま目隠しをされてしまったからだ。恐らく部屋に入って数秒の出来事だったので見渡す時間がほとんどなかったからだ。
彼は学生?インターン?見た感じが相当若く見えたので一瞬そう思った。マイク越しに責任者のような人が指示を始めた。どうやら始まるらしい。
喉にカメラが挿入されていくのがわかる。それと同時にシュー、シューと麻酔のような液体が喉に吹きかけられていく。
意外と苦しくないな・・・
それが最初の感想だった。意識ははっきりあるのだが、喉の麻酔が効いているせいか差ほど苦しさは感じられなかった。
「はい、そこを回り込んで~、そうそう~。」
マイク越しの責任者が指示を出す。すると、
「あ、あーそこはもうちょっと、あ・・」
女性の声が追いかけた。このやり取りが暫く続くと、目隠しされて眼は見えていないものの、この検査の状況がなんとなく把握できてきた。インターンと思しき新米若手医師?に上司か先輩の女医さんがサポートについているのだなと。それをマイク越しに指揮している偉いさん医師という構図だ。
そうこうしているうちに肺の中でカメラなのか鉗子なのかはわからないが、肺の中を掻きまわされている感じが強まり、だんだん息が苦しくなってきた。これは恐らく、喉に唾液が溜まって気道を塞ぎ、それによって息ができないのではないかと思った。苦しくても口がマウスピースで塞がれているので声は出せない。
気管支鏡を操作している新米医師?に対して指示なのか叱咤なのかわからないような指揮者と先輩の声がはっきりと聞こえているだけに、苦しさとともに不安感がどんどんよぎりだしてきた。
そして遂に息が本当にできない状況になり、僕は手をベッドにバンバンと叩いてタップした。プロレスのシーンを想像してみて欲しい。バックからチョークスリーパー(腕で首、もしくは頸動脈を締めあげて窒息させる技)を極められて降参するときはプロレスでも総合格闘技でも柔道でもこのタップでレフリーが判断をして試合を止める。あれだ。
ちょ、ちょ、ちょっとタップしてるやん。こ、これ気づかんのくぁぁぁぁ!あ、あ、あかん・・ちょっと・・ユセフトルコ沖識名ミスター高橋・・
歴代の名レフリーの名前が脳裏をよぎる。
止めて・・し、死ぬ・・
と心の中で叫んだとき、ズズ~と何かを吸い込むような音がして楽になった。
た、助かった・・
だが、試合はもちろんこれで終わったわけでは無く、更に検査は継続される。
「取れたの?」
指揮者の確認は恐らく細胞が採取できたのかということだろう。数回のそんなやり取りがあり、その後もチョークスリーパー状態がやってくる。その度に、手でのタップと同時に足を思い切りバタバタさせて猛アピールするのだが、どういうわけかそれでも暫く放置されるのだ。
も、もううエー加減にせぇよ!レフリーはおらんのかレフリーは!こっちはタップしとるやないか!あほんだら殺す気か~!!!!と心で叫んでいたら、指揮者が、
「堀井さーん、大丈夫ですよー。検査は順調に進んでますからねー」
ど、どこが大丈夫やねん、こっちはもう3回死にかけてるわ!(もちろんマウスピースで声は出せない)
「取れた?え、取れたのは?1つ?」
と指揮者。
「交代してください。」
と突然指揮者が選手(医師)交代を指示した。
え?選手交代?どうやら先輩の女性医師に代わったようだ。
え?そっちはタッグマッチ?こっちはシングルでやられ放題やん。いつからかセコンドの?看護師さんが手を握ってくれている。それが唯一の救いだった。
「はい、堀井さーん、お疲れ様でした。終了でーす。」
時間はどれ位経ったのだろうか。正味は20分くらいだったのかもしれないが、僕にはとてつもなく長く、かつてこの病院で胆嚢ポリープ検査中に停電した時よりもはるかに苦しく、大げさではなく過去最大級の苦しい出来事だった。
「じゃあ堀井さん、この車椅子に乗ってください。」
どうやら検査が終わると全員が車椅子に乗せられるらしい。麻酔をいれてるからだろう。なぜか看護師ではなく、新米医師?がその車椅子を押して別の病室まで運んでくれるではないか。思わず僕は話しかけた。
「先生、細胞取るのって難しいんですか?」
「はい、取ろうと思ったら血がでて見えなくなるんですよね・・」
これが普通のことなのか技術の問題なのかはわからないが、それ以上会話をすることを止めた。
実は。
この一連の検査中になぜか僕の心の中で「生」への執念のようなものが芽生えていた。それは「怒り」の感情からくるものだ。理屈ではなく、殺されかけた(勝手にそう思っているだけですが)ことにより、「俺はこんなことでは死なんぞアホンダラ!」的な生への執念のようなものが沸々と湧き上り、生命エネルギーが活性化したのだ。僕は改めて怒りのエネルギーは侮れないことを実感した。
ただ、その執念とは裏腹に、2時間程安静の為に運ばれた病室で僕の容態が急変した。
~続く~
金融業界で盛んに課題として取り上げられる言葉に「情報の非対称性」があります。これは消費者と提供者側との間には大きな情報格差があり、提供者側(金融事業者)には高い倫理観が求められるということです。この倫理観を求められる最たる職業は弁護士であり、そして医師ではないでしょうか。
ある意味、命の次に大切なお金を扱う金融事業者は、その提案する商品について消費者が理解するまで誠意を持って何回でも説明することが肝要です。そういう意味では命を扱う医師は心身ともに不安な状況に置かれている患者にたいして、少しでもその不安を解消するために病状や診療方針について患者が納得するまで説明することも同様です。
この検査をするにあたり、もちろん注意書きは手渡され、それを読み込んだうえで臨みました。終わった後に想定以上に苦しかったことと検査中の医師らのやり取りが今一顧客(患者)志向と思えなかったたこともあり、ネットで気管支鏡検査について調べてみると。
『検査中は息をすることが出来ますが、声を出せませんので、「事前に何かある際の合図の確認をしておきます。」
「異常などがあれば、検査前に医師からいわれた合図(手でベッドをたたくなど)で知らせてください。」
検査中はできるだけ肩の力を抜いて静かに呼吸をしてください。ごくまれですが、ここには記載していない合併症、予期しない偶発症が発生したり、死亡例(0.004%)の報告もあります。
「最近では、胃カメラなど同じように、痛みを感じないように全身麻酔で眠っている間に検査を行う施設が多くなってきています。」』
と書かれているではないですか。事前に合図の確認をし、異常があれば知らせてくださいと。これは事前に渡された注意書きにも書かれていませんでしたし、検査室に入った時もそのような事前打ち合わせは何もなく、いきなりベットに寝てマウスピースを入れられましたし、全身麻酔で寝てる間にやってもらう方法もあるようです。
また、検査中の、目隠し、口にマウスピース状態で聞こえてくる会話のやり取りとギブアップ放置は、どう考えても実験台のような気がします。それならそれで事前に言ってくれればこちらにも覚悟ができたのではないかと。
あ、ぼやいているように思われるでしょうが、結果的に私はこの検査によって生命エネルギーが活性化しましたので、これはこれで良かったと思っています。ただ、しいて言えばもう少し事前に丁寧な説明をしていただきたかったなと(笑)恐らく患者側が体験している非常事態は検査する医師側かすれば日常の反応なので、それくらいは異常と見なさないのかもしれません。
また、情報の非対称性の観点から言えば、商品提供する金融事業者のみに問題があるわけではなく、一般消費者のマネーリテラシー(お金の知識)の低さにも問題があると言われています。それを今回の話しに置き換えると、患者側(私)も事前に勉強し、すべてを医師に委ねるのではなく自身の考え方を表明できる状況にしておく必要があったということですね。
もし不幸にもこれから気管支カメラをすることになった読者の皆さんは、それなりの学習と事前打ち合わせを、それから私のような根性無しの方は、全身麻酔をお願いしてみてはいかがでしょうか(笑)あ、もちろん精密検査なんかしなくてもいいコンディションをキープし続けることがベストです。
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