一気に春が近づいてきましたね。今週はオンラインセミナー講師が2件、イベントモデレーターが1件、保険営業が4件、提携交渉が3件と肺がんステージ4のご老人にはちょっとハードな1週間でした(笑)え?お前はまだ保険営業もやっているのかって?
はい・・諸般の事情でやっています(笑)
ただ、ワタシが最初から最後まで完結するわけではなく、実務担当者同席で商談を進めていますので社員教育の一環でもあります。教育にはOFJT(研修)とOJT(現場同行)がありますが、この両輪が上手く嚙み合ってこそ深い気付きが起こり、結果を生み出すことに繋がるのです。
そして。
3月11日は某大手保険会社系乗合代理店さんの年間優績者表彰会のゲストスピーカーとして登壇をさせていただきました。本来はリアル開催を予定されていたのですが、時勢的にオンラインに切り替えられたことで社員全員の約400名が参加されての開催となりました。ワタシの持ち時間は13時40分からの約90分で前半と後半の間、タイムスケジュール的には14時40分に東北大震災への哀悼の意を込めて30秒の黙祷を捧げる予定でした。
それが。
無事セミナーを終了して間もなく、弊社スタッフから電話がありました。
「会長、あ、あの黙祷の時間は計算されたのですか?」
「へ?どういうこと?」
「会長が黙祷の案内をされた時間が、丁度14時46分、震災があった時間とピッタリだったので思わず鳥肌が立ちました!」
「そ、そうなんや、もちろん計算は・・全然してなかったな・・」
恥ずかしながら震災時刻が何時何分だったのかも全く気にかけていませんでした。たまたまイベントのスタート時間が遅れたことでワタシのスタートも遅れ、全く意識していなかったにも関わらずその時刻に黙祷を捧げられたことを後から聞き、とても驚きました(なにか持ってる?(笑))。
改めてではありますが。
我々、特に保険人(ほけんびと)は3月11日という日を忘れてはいけません。
あの日、僕は東京駅近くのホテルにいた。重要な商談だった。上場企業の子会社の保険代理店を買わないかという話しがあり、その社長との面談。少し早目に行っておこうと約束の30分前にそのラウンジに着いていた。席についたところで電話が鳴った。顧客の会員化サービスを進めている提携先の担当からだった。その電話の最中にホテル全体が揺れ出した。
「あ、地震ですね。」
「そうですね。」
「お、大きいですね。」
「な、長いですね・・」
「ちょ、ちょっと切りましょうか。」
「わ、わかりました!」
その後、そのホテルの中はパニックになり、揺れるたびに避難指示で何度も表にでては中に入った。そうこうしているうちに泊まる所も無くなり、交通手段は遮断され、結局そのホテルのロビーで朝を迎えることになった。もちろん待ち人は来なかった(来れなかった)
その後にロビーのテレビで見た光景は、僕の置かれた状況をはるかに超えた驚愕の有様だった。
あれから早や11年の歳月が流れた。僕が被災者の方々に直接できたことは義援金と物資を送ったくらいで直接被災地に赴きボランティア活動や救済活動をしたこともない。当時も今も少し後ろめたい想いもある。当時僕の書いたコラムを読み返してみた。
「今世界が日本に注目しています。メディアを通して日本人や日本企業の一挙一投足に注目しています。
経済活動をしている私たち、特に経営者はその事業に邁進し、少なくとも被害に遭われ経済的ダメージを受けられた個人や企業の分まで、元気さを失わず今の事業に邁進することが復興支援に繋がることではないでしょうか?下落した日経平均株価を被災しなかった我々が予想以上に大きく成長させて立ち直らせてみせようではないですか。人手が足らなくなるまで仕事を創り、就職難民の学生さんたちをどんどん雇用できるまでに事業を伸ばそうではないですか。就職難民に憂いてる学生さんも親のすねをかじってる場合ではありません。どうしても一流企業に入りたけりゃ選ばれるまで自分を磨き直すか、とにかく縁のあった企業で一所懸命働いてみるか、もしくは被災地にボランティアで飛び込みなさい。
ヒトが日常で発揮している能力、顕在能力は3%とも5%とも言われています。そう、実は未だ目覚めていない潜在能力が95%以上も眠っているということです。今こそ眠っていた能力を覚醒させ、自分がやろうとしても中々出来なかったことや、やるべきことに挑戦し、潜在能力を発揮させる機会と捉えようではありませんか。(2011年3月15日コラム抜粋)」
当時偉そうに?書いたコラムですが、あれから11年が経過し、弊社は社員数で2倍弱、売上は昨年度実績で3倍以上の70億を超えるところまでには成長できました。未だにボランティア活動ができなかったことに後悔が無いとは言えませんが、それでも日本経済復興にはほんの少しは貢献できたのではないかと思っています。
東北大震災はとても痛ましい出来事でしたが大手保険会社の献身的な安否確認活動などにより、世間に保険商品や保険ビジネスパーソンの価値を再認識していただくきっかけになりました。また、個人的には一昨年に新型コロナウィルスという「まさか」に加え、自身の身にも「末期ガン宣告」という「まさか」を経験しました。
想えば命が脅かされる出来事を経験するたびに、人は「保険」の必要性を再認識します。これを不幸に付け込む因果な職業と揶揄する人もいるかもしれません。それがこの職業に就く人に対して偏見を持たれる一つの理由かもしれません。
けれどもその経験を身をもってした人は、保険商品の有難さを間違いなく感じていただいているはずです。もちろん僕もその一人です。金融業界、金融商品の中でこの「まさか」の事態に対応できる商品は保険しかないのですから。
ネット生保や来店型保険ショップの台頭により昔ほど偏見を持って見られることは無くなった保険営業ですが、それでも圧倒的に多い訪問型保険営業の世界では志半ばで挫折していく人が後を絶ちません。そんなヒトたちは是非、このような機会や、保険の有難さを体験した人に感情移入し、保険人(ほけんびと)の使命を自身の頭と心に刻み込んで欲しいと思います。
『あの日52歳だった僕は63歳になった。あの日、もっと生き、もっと楽しみ、もっと笑い、もっと働き、もっと倖せになりたかったたくさんの人たちの命が天に召された。
日常の「当たり前」が「まさかの出来事」を体験することで、「有難い」日常に変わる。
果たして僕はあと何歳まで生きられるのだろうか。5年生存率4.8%の中で生きている僕は3年後その4.8%の中の一人になっていたいなとは思う。
でもそれは神のみぞ知ることだ。考えても仕方の無いことだ。言えることは3年より1年、1年より1か月、1か月より1日、1日より「今」を大事にすることだ。人生はまさかの連続だ。まさかを経験するたびに人は強くなり、今生きていることの有難さに感謝できるようになる。
あの日、もっと生きたいと願った人たちの夢を、僕たちは今生きている。』
ヒトは壁を乗り越えるたびに成長し、自分は強くなり、他人に優しくなり、人間に厚みが増し、チンケなプライドが無くなり、常に穏やかで少々のことでは物事に動じなくなり、ただ存在しているだけで人を感動させるオーラが放たれるようになります(知らんけど・・)。
ワタシはこれでもFPの端くれです。FPはクライアントの将来の夢や目標を定量化(数値化)し、実行支援とリスク回避(保険)の提案をするのが仕事です。そういう意味では人生は計画を立て、その計画を粛々と実現することが成功であり倖せであり、そのアドバイスをすることがFPの使命でありやりがいであるということになります。でも63年生きてきて僕は思うのです。
順風満帆クソくらえだと(笑)
土台計画通りに物事が進むなんてことはほとんどありません。計画通りに行かないからこそ人生は面白い。計画を立てた人生を全うした物語なんておもしろくも何ともない(そんな小説は誰も読みません)。物語は予期せぬ出来事を乗り越えるから物語になるのです。
「これを乗り越えたら、俺(私)は更に魅力的になる。どうしよ・・これ以上魅力的になったら困るな~」
そう思っただけでなんかワクワクしてきませんか?(笑)
少なくとも今生きているヒトタチは全力で今を活き、楽しみましょう!
弊社グループは、そんなあなたに「あなたらしい素敵な活き方を応援し続ける」企業です。
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