0から創り上げた自分の支社。
その支社長という立場を辞することにためらいが無かったといえば嘘になる。リクルートし、育ててきたライフナビゲーターやマネージャー達との人間関係も良好だったし、正直「俺たちを見捨てるのか」という批判を浴びることも覚悟せねばならなかった。
そして何よりフルコミッションとは言え、5000万という年収を捨ててまた収入「0」から始めることは、二人の高校生の息子の学費と5000万のローンを組んで買ったばかりのマイホームを抱える父親の立場では常軌を逸していると思われても当然だろう。
流石にこの時ばかりは大学進学を控えた息子も「おとん、何考えてんの?えー歳して。これから僕らにもお金かかんのにそんなアホなこと止めてや!」と猛抗議された。妻の美津子は、またか・・と半ば諦めていたが。
―俺は辞めることが決められている。いや遠い昔にそう自分で決めていた―
霊能者たちの暗示にかかっていたのかもしれないけれど、なぜかそんな気持ちから明確な計画など何も無いのに独立する意思だけが固まっていたようだ。
「もしもし、間宮か?俺、朝倉や」
間宮は大学時代からの親友で上場企業の常務やその子会社の社長を任されている悪友の中の出世頭だ。
「おう、どうしたんや。もうこれ以上保険は入れへんぞ」
いつもなら挨拶代わりに、
「それがお前には無くてはならん保険があってな・・(笑)」
とジョークで切り返すところをちょっとマジに、
「あんな、俺会社辞めて独立しよと思てんねん。」
「ほう、ぎょうさん(沢山)報酬もろてんのに何でや?何すんねん?」
「まぁ、まだ明確に決めたわけではないねんけどな。今の仕事の次のモデルを模索してる・・」
「なんや、まだちゃんと決まってへんなら取り敢えずうちの会社手伝ってくれよ。何するにもマーケティングの知識は必要や。それに東京に出てきたら人脈もできる。実は丁度今営業の責任者探してたんや。頼むわ。」
「そやかて俺、マーケティングなんか専門違うし。それに責任者て。」
「取締役ゼネラルマネージャーでどや?大丈夫、なんとかなるて。ほな頼むで!」
昔からあまり人の言うことをちゃんと聞かずに自分の言いたいことは押し付けてくるその友人の強引な誘いに、半ば押し切られるような形で電話を終えた。
―頼まれごとは試されごと-
そんなやりとりから、自分の会社を創ると同時に東京に単身赴任し、膨大な顧客データベースを活用したマーケティング会社の営業責任者という二足のわらじ生活が始まった。
正確に言えばもう1社、そのマーケティング会社が株主の、世界で最も歴史あるライフスタイル誌を発刊している出版社の取締役も兼務し、3足のわらじだった。もちろん出版に係ることも初めてだ。ただ、圭太は勢いだけで何も考えずにそのオファーを受けたわけではなかった。
圭太はかねてから保険営業パーソンのポテンシャルや可能性について考えていたことがあった。それは卓越した営業スキルや人間関係構築力と、それをベースとした顧客データの活用だ。
―ライフプランニングをするために顧客からヒアリングする情報は多岐に渡りかつ深い。その情報を保険設計には活かすがそれ以外に活かせていないのはあまりにももったいない。本来のライフナビゲーターというミッションは、「ライフ」即ち人生全般をナビゲートするものであり、保険だけで完結するビジネスではないはずだ。我々の顧客との長きにわたる信頼関係とそのお付き合いの入口で把握するライフプランニングデータをフォローし続けることで真のライフナビゲーター(人生の伴走者)という新しい職業を創造できるのではないか。パシフィック生命ではいくらそれを会社に提案しても聞いてもらえなかったし、収入を上げるためには新契約を追いかけ続ける必要があり、アフターフォローに充分な時間が割けないライフナビゲーターが一人でやるには物理的にも無理があるー
と思っていたのだ。
よって間宮が代表をするレンタルビデオやCD,書籍購入の履歴を会員データベースとして蓄積し、約1,500万人という膨大なデータからその顧客のライフスタイルを導きだし、その属性や嗜好に基づいた商品やサービスを提案したり、顧客データ分析からプロモーション支援やコンサルティングを引き受けるその企業の中に入ることは、圭太の壮大な夢の実現に近づける機会になるのではないかという下心も有り、そのオファーを引き受けたのだ。
運命は自分で切り拓くものなのかそれとも誰かに決められているものなのか。
フルコミッションセールスの世界で、ひたすら掲げた目標をキャッチアップしてきた圭太。当時なら運命は自ら切り拓くものだと信じて疑わなかっただろう。しかし今の圭太はまるで川の流れに身を任せるように、目の前に現れた頼まれごとを引き受けていくことで新しい自分を発見できそうなワクワク感で満たされていた。
※アイキャッチ画像は恐らく起業した40代前半の男前だった頃の写真です(笑)
―続く―
30歳代までは目標を定めてただひたすら捉まえに行くことで成長する。
40歳からは地位、プライド、収入など我欲を捨てていくことで更に成長していく。
50歳になれば人に任せ、人を育てていくことで成長していくものだ。
上記は社会人生活30年を振り返って私なりに感じる成長のプロセスです。
因みに私が新卒で入社した会社は大手流通業のグループ会社。スポーツ用品を扱う全国チェーンでした。
入社動機はスポーツが好きでどうせ一生働くなら好きなことを仕事にしたいと思ったからです。営業職ではありませんでした。むしろ営業職ではない仕事を選んで就職先を選びました。なぜかその時は営業職という職種が、お願いしてモノを売る仕事で格好悪くて辛いというイメージが強かったのです。
それから20年後、私は42歳で起業しました。
もちろん生命保険会社の支社長という地位や5000万という報酬、なにより部下や仲間を捨てることはそれなりの勇気がいりました。ある意味人生最大の決断だったと言えます。でも今から思えば、やはりあの時捨ててなければ今いただいたものは無かったということ。
これはパソコンと同じで新しければ(若ければ)自分の許容領域も広いですが、古く(それなりの年齢に)なってくると過去の経験や習慣で許容領域が狭められている場合が多く、あまり詰め込みすぎるとフリーズする頻度が高くなります。
人間はPCのように新しく脳みそを入れ替えるわけにはいきませんので、基本不要なコンテンツを捨てる必要がでてきます。つまり許容領域を、過去を捨てることで広げてあげないと新しい情報や価値観を得にくいのではないでしょうか。
でも実は人間の潜在意識、またその奥に広がる宇宙意識はとてつもなく広いので、捨てたようでもしっかりその体験は潜在意識にインストールされており、必要な時にちゃんとアウトプットできるようになっているのです(知らんけど・・)。
マズロー博士の言うところの5段階欲求の4番目の欲求である承認欲求(ヒトから認められたい)から5段階目の自己実現欲求に上がるきっかけは、まずは表面的な承認欲求の要素(地位、権力、お金、モノ、プライド)を勇気を持って捨てることなのかもしれません。
その時を見計らって運命の神様は次のミッションを「頼まれる」ように用意してくれていて、それを淡々と引き受けることで次のステージに進んでいけるのではないでしょうか。
因みに既にワタシは60代後半に差し掛かりましたが。
60代をまだ終えてませんのでまだ確信は得ておりませんが。
60代は。
「何があっても狼狽えずにすべてを感謝して受け入れることで成長していく」
でしょうか(笑)
*上記コンテンツは2017年に上梓したものを多少手直しし、再掲しています
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