敬老の日に寄せて。愛されリスペクトされながらもノーストレスで活きるヴィンテージ・パーソンを目指そう
敬老の日に寄せて。愛されリスペクトされながらもノーストレスで活きるヴィンテージ・パーソンを目指そう

老の定義

そう言えば今日は敬老の日だ。

老を敬う日と書くのだから老人をリスペクトする日ということだ。

ネットで検索しても「年寄りを敬い、さらなる長寿を願う日」と出てくる。

じゃあこの「老人」というのは何歳をさすのかと言うと。

 

日本では65歳以上を高齢者。

そのうち65~74歳を前期高齢者。

75歳以上は後期高齢者と定義している。

 

ということは。

 

俺様は正真正銘完全無欠絶体絶命の(前期)高齢者に該当することになるやおまへんか(泣)

 

因みに。

 

医療制度では65歳以上が高齢者、道路交通法では70歳以上の免許更新者は高齢者講習を受けるとされている。

保険募集上における高齢者募集ルール(保険募集ガイドライン)では明確に年齢を指定していないものの、敢えて言えば生命保険協会の募集ガイドラインでは特定保険商品募集時の同席を求める親族対象者を70歳未満と設定しているから高齢者(老人)は70歳以上と逆説的には定義していると言ってもいいだろう。データ的には日本は65歳以上が既に3,625万人で人口比率29.3%とほぼ3人に1人が老人だ。

 

ただしこれはあくまで物理的な年齢上の定義。

 

 

 

じゃあ孫が生まれた人はどうなんだ?

 

その時点で40代でも50代でもお祖父ちゃんとかお祖母ちゃんとか言われるじゃないか。それはどうなんだよ。その瞬間に敬老の日を祝われる対象者になるんじゃないのか?

 

そう言えば。

 

俺様は数年前にX(twitter)で「老害」と何度もディスられたことがあるぞ。この老害というのは害を与えている老人のことを指すんじゃないのか。

そいつは数年前(多分50代後半の頃)から俺様のことを既に老人と特定していたんだよ。

 

だとしたら。

 

何歳になったら敬老の日の対象者になるのかは明確に定義できないんじゃないのか?

 

明確に定義ができないならもうこれは誰に何を言われても自分自身が老人と認めなければ良いんじゃないのか。

じゃあ自分は認めなくても他人様から見たらどう転んでも老人にしか見えない奴はどうなんだ。

それは最早自分が男前だと思っていても他人からみたらどう見ても不細工にしか見えない奴と同じ評価と言ってもいいだろう。

 

と。

 

どうでも良いことは置いといて・・

 

もう一つの問題は。

 

「老」をどう認定するかではなく。

 

無条件に老人という存在を「敬」(うやまう)ことはマストなのかということ。

 

老人に該当する人をあまねく敬うことを強制してもいいのか、ということだ。

 

果たして敬老は義務なのか

マクロ的?には今自分がこの世に存在しているのはご先祖様、曾祖父、祖父、父という代々から脈々とした繋がりがあればこそなので、例えそれがどんなヒトであろうと無条件にリスペクトするのが筋だと思います。

ですが。

ミクロ的にはヒトは感情の生き物なので、そこに直接的に自分が関わっていようと関わってなかろうと好き嫌いという感情が沸き上がるのがニンゲンだとも思うのですよ。

例えば。

全く知らない80代のお爺さんが運転中にブレーキとアクセルを踏み間違えて登校中の子供に突っ込んだとしたら、ほとんどのヒトはその老人のことを「許せない」と怒りの念を覚えますよね。

もちろんそれが身近な知っている老人ならなおさらかもしれません。

つまり。

儒教的な上下関係を重んじた江戸時代ならいざしらず、少子高齢化が急速に進んでいる現代の日本においては、残念ながら無条件に老人を敬い、精神的にも物理的にも若者が支援することは、支える立場の若者たちからは「そんなこと当り前」と肯定できないと思う方が妥当ではないかと思うのですよ。

 

だとすると。

 

正真正銘完全無欠絶体絶命の高齢者の立場(ワタス)から考えると。

 

極力若者のお荷物にならない状態を作ることが自身の為にも次世代の為にも日本国の為にも良いと思うのですがいかがでしょうか。

 

具体的には。

 

健康年齢をキープし、介護状態にならずに死ぬこと(物理的負担をかけない)

経済的に自立し、国や子供の世話にならない状態で死ぬこと(経済的負担をかけない)

 

ではないかと思うのですよ。

 

これはあくまで迷惑を掛けないレベルですが。

 

更に望ましいのは。

 

「次世代に価値を提供できる」存在になることではないでしょうか。

 

つまり。

 

全ての老人にあまねく本心から敬まおうと思えるヒトは極々わずかで。

それなりに価値を提供して初めてリスペクト(敬老)されるのだと思うのですよ。

 

では。

 

そのためには何に留意すればいいのでしょうか?

 

ワタシが直観的にでてくるイメージですが。

 

理想的な老人像とは

見た目的には。

 

若々しく。

清潔感があって。

お洒落で。

臭くない・・

 

中身的には。

 

謙虚で。

愛嬌があり。

豊富な知識とか経験値があったとしても自分からひけらかさず。

聞かれない限り昔話(自慢話)もせず。

今の地位やポストにもしがみつかず。

金払いがよく。

いざというときには頼りになる存在。

 

 

こんな爺さん像でしょうか。

 

一方。

 

若者に嫌われないように外見や中身を常に気を使って生きていくのはストレスになる可能性もあります。

そんな死ぬまで誰かに気を使いながら生きていくことが決して幸せな人生だとは思えません。

 

日本では「憎まれっ子世に憚る」ということわざがありますが、中国でも「好人早過世、歹人磨世界(よい人は早死にし、悪い奴が世間にのさばる)」ということわざがあります。

恐らくこれは人に気を遣わずに嫌われても意に介さずノーストレスで生きているヒトの方が長生きするということだと思います。

 

要するに。

 

「他人に気を遣わずにノーストレスで、あくまで自らの意志で生きたいように生きながらも、結果的に愛されリスペクトされる」

 

そんな老人になるのが理想的な活き方(死に方)ではないでしょうか(あくまで個人的価値観・・)

 

 

そのためにも。

 

いつも嫌われないようにビクビクして生きるのは止めましょう。

ストレスを抱えて死んでいくことだけはしたくはありません。

「これが俺の活き方なんだよバカヤロー」という気持ちで生きてる方がストレスなく、健康で元気でいられるはずです。

 

その上で。

 

「自分がこんな歳の取り方をしたい」

 

と憧れられる存在を目指すのが理想なのではないでしょうか。

 

ヴィンテージ・パーソンを目指そう

ヴィンテージとは。

 

「古くて価値が高いもの」「年代もの」意味。

 

ヴィンテージワイン、ヴィンテージファッション、ヴィンテージカー、ヴィンテージウォッチ等古ければ古いほど価値が上がり、マニアに愛され、リスペクトされる存在です。

 

ニンゲンもどうせ歳を重ねていくなら。

 

「ヴィンテージ・パーソン」を目指そうではありませんか。

 

もちろん。

 

正真正銘完全無欠絶体絶命前期高齢者のワタシは。

 

年齢不詳、歳不相応、身心健康ちょっとアホ、シゴトは控えめアソビは全力、渋くて可愛く、ヤンチャで真面目、エロくてお洒落で、妖しく爽やか、こんな活き方をしたいと憧れられる支離滅裂のヴィンテージパーソンを目指したといと思います(笑)

 

 

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