1999年夏、圭太はパシフィック生命が毎年開催する優績者表彰である海外コンベンション参加のためハワイに来ていた。社長杯という1年間で一定以上の業績を挙げた者だけが参加できる表彰旅行である。
全国から入賞した保険営業の強者たちが集まり、家族と共に経営陣から壇上で表彰を受ける。このイベントに入賞することを目標に日々保険営業に精進するライフナビゲーターも少なくない。もちろん収入もついてくるのだがフルコミッション(完全歩合制)の営業の世界に家族の反対を押し切って足を踏み入れ、そして成功できたという姿をその家族と共に祝福を受けるという趣向が彼らのモチベーションを更に高めるものであった。
圭太はこのコンベンションの常連だった。
参加者はネームプレートに過去からの入賞回数が表示されている。入賞すること自体、栄誉ある実績なのだが圭太は入社後初めて入賞したときにはその回数が当然「1」と表示されていた。この場では参加回数の数字が多ければ多いほどライフナビゲーターは「格上」と見られ、圭太は悔しい思いをしたことがある。それ以来圭太もこの場に毎年参加できる実績を残すことを自分に課してきた。圭太のネームプレートには「7」と記されており、この回数は誰から見ても立派な数字だった。
表彰会食会が終わり、部屋に戻った圭太はオーシャンビューのテラスに出てリクライニングチェアに腰をおろした。妻の美津子と息子の優はビーチとパーティではしゃぎすぎたせいか既に眠りについていた。圭太はその寝姿をテラス越しに確認してからリクライニングを倒して思い切り横になると、眼を閉じ安堵のため息をついた。
ふぅー、今年もハワイに来れて良かったわ・・・
カラッとした海風が火照った肌には心地良かった。大きく深呼吸をして眼をそっとあけてみると空には満天の星が輝いていた。
うゎーすごい夜空や。なんか宇宙に吸い込まれていきそうやなー
感動したまま再び眼を閉じた圭太はそのままテラスのリクライニングチェアで眠っていた。
「3.2.1発射!一段ロケット点火されました。朝倉飛行士応答願います。目標地点は明確ですか?」
「はい。大丈夫です。視界良好。問題ありません。」
「この軌道をはずさず、目標地点を通過してください。無事達成できればあなたの収入は各段に上がります。」
「はっ?収入ですか?」
「はい、そうです。いらないのですか?あなたは収入を上げる為に飛行士になったのでしょう?特段飛行士になる理由はそれ以外になかったと聞いていますが。」
「はい、まぁ・・」
「一段ロケット切り離します!二段ロケット点火!」
「ラ、ラジャー!」
「朝倉飛行士、応答願います。あなたは何の為にこのロケットに乗っているのですか?」
「はい、確か収入を上げるために応募して、それで合格して、今このロケットに・・」
「駄目です。それではこれ以上推進力が上がりません。切り離した一段ロケットにその思いは捨ててきたはずです。このままでは大気圏を越えることは不可能です。」
「・・は、はい、えーと科学技術発展のため、人類の夢や希望を叶えることを使命として危険を顧みずこの業務に臨んでおります!」
「二段ロケット切り離します!三段ロケット点火!」
「ラ、ラジャー!」
「朝倉飛行士、聞こえますか?応答願います。あなたは今何の為にどこに向かって飛行しているのですか?」
「えっ、さきほど答えましたが、私の使命は・・・」
「朝倉飛行士!もう二段ロケットは切り離されています。このままでは大気圏は越えられません。宇宙に飛び出す前に墜落してしまいます!」
「わ、わかりません!わかりません!で、でも宇宙には行かせて下さい!大気圏を越えさせてください!お願いします!僕は自由な無重力な世界を体感したいのです・・」
「無理です。あなたはこのままでは墜落してしまいます。」
「ちょっ、ちょっと待って下さい!わ、わぁー」
・・・・・・・・・・
「圭ちゃん、圭ちゃん、そんなとこで寝てたら風邪ひくよ。中入ってちゃんと寝なさいよ。なんやえらい汗かいてどーしたん?」
「星見てたら寝てしもたんや。それにしてもわけわからん夢見てしもた。」
転寝の間に垣間見た夢は、圭太の転職後の保険セールスの変遷のようであり、うなされていたところを美津子に起こされてホッとした反面、もう少し続きを見てみたいとも思った。
思い起こせばこの仕事を続けるために、成功するために必要なことはどうも成長のプロセスで、その時その時にどんな想いで臨んでいけばいいのかが違っていたようだ。
すっかり眼が醒めた圭太は満天の星空の下、ペンとレポート用紙をおもむろにバッグから取り出し、今までの自身の成長の変遷をまとめ出していた。
・ 1段ロケット発射?「我欲を満たす」
・ 2段ロケット発射?「使命感に目覚める」
・ 3段ロケット発射?
少し考えてから、圭太は3段ロケット発射のあとを
「ただ愉しむ」
と書いた。
気がつくと星の輝きの向こうからうっすらと朝日が昇りかけていた。
続く
外発的動機付け(報酬)とは金銭、地位、名誉などに対する期待や処罰や不名誉に対する恐れなどにより動機付けられるもの。
内発的動機付け(報酬)とはいかなる報酬は生まなくとも個人の中の達成感や有能感(うまくできて嬉しい)など内部にこみ上げてくる喜びや愉しみによって没頭する状態のこと。
今までは外発的動機付けが仕事における成長を促進させるという概念が一般的でしたが、心理学者のチクセントミハイが提唱するフロー理論によると、仕事しているプロセスが愉しく、我を忘れる程没頭する中で、行為や意識、自身と外界が一体となるような融合感を感じながら、きちんと自分の世界を支配しているという安定感も感じるという活動が「流れるが如く(フローである)」という状態こそが外発的動機付けに勝るものとしている。
経営学の方でも、「内発的動機付け」の重要性が指摘されており、心理学者エドワード・デシによる次のような実験が紹介されています。
『その実験では、被験者が個室でパズルを解く。とても面白いパズルなので、被験者は休憩時間も夢中になってパズルに取り組むのが観察された。ところが、パズルを一問解くごとに1ドルづつの報酬を与えたところ、休憩時間はパズルを解かずに休むようになった。つまり、「外発的動機付け」が、「内発的動機付け」を抑圧してしまったのである。』
この実験により成果主義が仕事それ自体の面白さや愉しさを奪ってしまうことが問題だと指摘しています。
もちろん生存欲求を満たす最低限の報酬は必要ですが、20世紀の経営が理論と論理による表面的な合理性を追求したのに対して、21世紀の経営は深層心理学や目に見えない宇宙の営みまで配慮したものに変えていく必要性があることをひしひしと感じる今日この頃です。
<参考文献>
「運命の法則」(天外伺朗著) 飛鳥新社
「ハッピー社員?仕事の世界の幸福論」(金井嘉宏著) プレジデント社
「虚妄の成果主義?日本型年功制復活のススメ」(高橋伸夫著) 日経BP社
*上記コンテンツは2009年に上梓したものを多少手直しし、再掲しています
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