告白。実はワタス、癌宣告を受けました。vol.2
告白。実はワタス、癌宣告を受けました。vol.2

感謝

5月1日にアップしたブログ「告白。実はワタス、癌宣告を受けました。vol.1」は、ワタシの予想をはるかに超えるアクセス数とメッセージを頂戴しました。

告白。実はワタス、癌宣告を受けました。vol.1

この場をお借りしまして、そのすべての皆さまに心より感謝申し上げます。

もちろん開示に至るまでのプロセスでは、それなりの葛藤や覚悟がいりました。でも、今は、少なくとも今のところは、開示してよかったと思っています。

「堀井、もう仕事はせんといてくれ。なんにもせんとアホになれ。何言われてもアホやからわかりません言うとけ。な、頼むからアホになってくれ。」

私の状況を知り、泣きながら電話をしてきた大学時代の親友。遠方から家の前までクルマで駆けつけ、顔だけでもと見に来てくれた後輩、コロナに配慮して玄関に妖しいサプリだけを置いて帰った前職の先輩。数えればきりがないくらいの社員や友人や保険業界関係者や、何年も何十年も疎遠になっていた人たちを含めた本当にたくさんの方々からお見舞いや励ましのメッセージをいただきました。そのいただいたメッセージを僕はその方の顔や声を思い浮かべながら丁寧に丁寧に読み、そして何度も何度も泣きました。

 

「ひょっとしたら僕は自分が思っていた以上に周りのヒトたちから愛されていたのかもしれない・・」

もちろんこんな状況に対して、あからさまに「ざまぁ見ろ」と思っていても面と向かって言うヒトはいないと思います(笑)でも、ここは素直にポジティブにそう思うことにしました。皆さんからの心温まるメッセージは、今のワタシにとっては抗がん剤以上に効力のある「特効薬」です。自分が何としてでも治りたいと思う心に、更なる力を与えてくれました。

本当に、本当にありがとうございました。

では。

vol.2の始まりです。

ガン宣告された瞬間(とき)のこと

3月11日。その後僕は人間ドックを受診したクリニックの指示通りに胸部CT検査を受けた。その所用時間は僅か5分程度。結果は翌週になるということだった。

そしていよいよその日がやってきた。早く結果が聞きたいような、永遠に聞きたくないような、複雑な心境だった。

「堀井さん、どうぞ。」

看護師から呼ばれた。診察室に入るとPCのスクリーンには僕のCT画像らしきものが既に映し出されていた。

「堀井さん、こんにちわ。お座りください。」

「よろしくお願いします。妻も一緒に聞かせていただいてもよろしいですか?」

妻は随分前から楽しみにしていた親しい友人たちとの温泉旅行を直前にキャンセルし、心配の余りに東京までついてきた。

「もちろんです。」

一呼吸おいてから、

 

「堀井さん、検査結果なんですが・・残念ながら、ガンの可能性が極めて高いと思われます・・」

 

「あぁ・・・」

僕の視界の左横で、小さく、ため息でも悲鳴でもない言葉が妻の口から洩れ、肩が落ちたのがわかった。

僕はと言えば、その瞬間、脳の中で、

がび~んがびーん、がびーん、がびーん

となぜか「がびーん」が4回程鳴り響いた。なんでこんな時に「がびーんやねん・・」我ながらそのアホさ加減にあきれた。

院長はPCのスクリーンを見せながら、

「この心臓の陰に大きめの腫瘍があります。形がよくありません。」

カーソルをカチカチ回すと、その腫瘍は拡大された。確かにグロテスクな形をしていた。

「それからここ(右肺下部)とここにも(左肺上部)既に転移しています。」

「先生、ステージは?」

「まだはっきりとは言えませんが、1とか2ではありませんね。詳しくは肺の専門医に来てもらっていますので、その先生からよく話を聞いてみてください。」

一度診察室を出て、違う部屋に通された。

「こんにちわ。」

「よろしくお願いします。」

若いその先生は人間ドックで私のレントゲン画像から影を見つけて再検査を指示した先生だった。

「先ほど院長からも聞かれているとは思いますが、既に肺の中で転移しています。この真ん中の腫瘍は通常のレントゲンで見つけるのはかなり難しいと思います。実は私もここではなく、こちら(右肺下部)の影を見つけたんです。」

「それ、大きさはどれくらいあるんですか?」

「これだけでは正確にはわかりませんが、およそ直径3.8㎝くらいでしょう。」

「結構、大きいですね・・治療はどのようにしていけばいいのでしょうか」

「これだけ広がっていると手術は無理ですね。恐らく抗がん剤治療になるでしょう。」

「重粒子線治療とかも無理ですか?」

「はい、ここまでがん細胞が広がっている場合は・・」

「先生、ステージは?」

同じ質問を肺の専門医にも投げてみた。

「そうですね、恐らく3~4でしょうね。」

院長の1~2ではないという表現を証明するかのように肺専門医は3~4という答えを僕に告げた。

「今後のことですが、ご自宅は京都ですよね。そうするとやはり治療は京都の方がいいですか?もし東京でと言う事でしたらうちの病院(K大学病院)でももちろん対応させていただきますが、ご自宅から近い方がよろしければ紹介状を書きますのでどちらかをご指定下さい。」

「できれば京都の方がいいですが、もし先生のところが一番治していただける可能性が高いのであればそちらでも構いません。」

「いや、うちが肺がんで一番ということは恐らくないと思います。できれば京都でも大きな病院であればちゃんと見ていただけるはずです。今、肺がんの研究はかなり進んでいますので、できれば大きな病院をお勧めします。」

「わかりました。紹介状を書いていただく先は少し時間をください。自分なりに調べた上でご返事させていただきます。」

確定診断までに消してやる

精算までの間少し時間があった。おもむろにiPhoneを取り出して、「肺がんステージ4 生存率」と検索してみた。すると、

「肺がんステージ4 5年生存率 4.8%」と出た。

 

「ちゅ、ちゅうことは、お、お俺は5年後ほとんど死んでるやないくぁぁぁーーーーーーー!!!」

「・・・・・とは限らない・・ひゅ~~」

ネガティブな感情をペコパで乗り切るのがやっとだった・・

時を戻そう・・

再検査を指示されてから今日までの約2週間、「ガンではありませんでした」という結果を祈り続けていた。しかし、現実の答えはガン。ただ、それでもまだ精密検査での結果でくつがえる可能性もある。まだ確定診断されたわけではない、それまでに消す方法を考えよう。と一縷の妖しい可能性にかけようと思った。

横に座る妻は、家族のグループLINEに結果報告を打ち込んでいた。一応これでも一家の大黒柱?なので家族は固唾をのんで報告を待っていたのだろう。

速攻で義妹から、

「全面的にバックアップする!」

と返信がきた。その後、すぐに義娘からも、

「右に同じく!出来ることはします!」

と返信がきた。

思い起せば、僕は人生の転換地点、事業で窮地に立たされた時、いつも周りの女性に助けられてきた。なぜか今回もそんな予感がした。

~続く~

人間ドックに対する個人的見解

なぜ毎年人間ドックに行き、去年は異常無しだったものが今年の人間ドックでは一転ステージ4と診断されたのか。

仮説は2つ。

1つは、見落とし。もう1つは、1年で急速に進行した。恐らくどちらかでしょう。

今回は私の場合、健診結果のドクターのコメントから推察するに「見落とし」と思われます。原発の腫瘍が心臓の陰に隠れてレントゲン画像では発見できなかったのでしょう。去年には転移した小さな腫瘍はまだ無かったのかもしれません。腫瘍マーカーも去年は正常値です。実はレントゲンは人間ドック以外にもう一度、その後に撮っています。航空身体検査を受けた時です。その時も異常はありませんでした。

通常の健診センターレベルで一人の画像に対してどれだけ注力してチェックされるのかはわかりません。レントゲンの精度にもよるかもしれません。私の今回の結果から、毎年の人間ドックの意味はあるのかと思う方もいるでしょう。事実私も思いました。

もちろん定期健診で早期がんが発見されて助かった人もたくさんいるはずなので意味が無いわけはありません。けれども異常が無かったからと言って、そのデータを100%信用に鵜呑みにしてはいけないということでしょう。

今ガンの発見方法はまだ目安レベルの信憑性かもしれませんが微量の尿検査や血液検査で判定する方法もあります。また、ガンはステージ次第ではありますが、速攻死ぬわけでは無くまだ治療のリードタイムがあります。それに対して心臓疾患や脳疾患は、タイミング次第では瞬間に命を絶たれる可能性もあります。

念には念を入れるなら、2年とか3年に一度はPET健診かMRIを受診する方がいいかもしれませんね。もちろん日々の健康管理は基本中の基本です。あ、私が言える立場じゃありませんね(笑)

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