下積時代の噺。俺の暗黒の歴史を聞いてくれ
下積時代の噺。俺の暗黒の歴史を聞いてくれ

まくら

今週は三連休明けの火曜日は朝から東京で某大手金融機関の新任支店長研修から始まりそのまま翌日まで会議やら商談やら社内研修やらをこなした後に仙台まで移動し春のミニカンファレンスの千秋楽を無事終えて金曜に京都に帰還したら祇園祭の宵々山も宵山も山鉾巡行も既に終わっていてもうこの歳になると来年は観れるかどうかわからないと思うと少し残念に思ふ一見タイ人のようで実は生粋の京都人なんどすえ@ケーホリーですこんにちわ。

通常業務に加えて全国行脚を入れたせいか体調を少し崩してしまいヘルペスくんが顔面に出現してしまいましたがそれもようやく引き上げていただきました。ご心配いただきました全国津々浦々のファンの方々(約3名・・)ありがとうございました。

その体調が悪いにもかかわらずゴルフは3週連続でコースを回り、先週はハーフ初の50切り(47)を達成し(後半撃沈)、今週こそと満を持して臨みましたが結果は105ともう一息の所で夢は叶いませんでした(涙)しかしながら腕前は確実に上がっているのを実感しています(多分)。やはりかけた時間は裏切らないということを実感していますのでこの流れを止めずに成長したいと思っています。

ところで。

昨日前々職時代のOB会がありその時のメンバーに30数年ぶりの再会をしてきたのですよ。

暗黒の下積み時代です(笑)

暗黒の下積み時代

大学を卒業して初めて就職したのはスポーツ用品販売の全国チェーンだった。当時は売上で全国トップ。尊敬する大学時代のクラブの先輩からの誘いもあってそこに決めたのだが、好きなスポーツに携る仕事がしたかったこと、営業マンにはどうしても魅力を感じず、むしろ世界を股に買う(バイヤー)仕事の方にカッコよさを感じたこともありそこに決めた。

ただもちろんいきなりバイヤーになるなんてことは有り得ず、最初の数年はお店の販売担当として下積みを経験することになる。最初に配属されたのは大阪南部の金剛店。金剛山登山で有名な地域だ。その地で2年程修行した後に転勤辞令が出た。

会社の初の試みとしてスキー用品のディスカウントショップ(スポーツベースNO.1)を梅田にオープンすることになり、抜擢された店長がどうやら俺を指名したらしい。実は当時から結構俺は目立つ存在で会社から労働組合の執行委員に抜擢されたり宴会芸人?として地域を超えて〆会に呼ばれたりもしていた。俺はスキー用品部門(板とかブーツとか)のマネージャーとしてそこで新たなスタートを切ることになったのだ。

時代は空前のスキーブーム。競合が立ち並ぶ激戦区で他店より安い価格戦略で打ち出したその店の売上は凄まじく、シーズン中は休みも無く夜中まで仕事をし続け、たこ部屋のような4畳半のアパートで雑魚寝する日々。何よりその店長のマネジメントは筆舌に尽し難い程えげつなく、ミスをすれば直立不動で何時間も怒鳴り散らされ、体罰も日常茶飯事、嫌われれば完全無視という恐怖のマネジメントでほとんどの社員は心身ともにボロボロになって途中リタイアしていった。

俺はそんな中、学生アルバイト含め約40人をマネジメントしながら売上を作るのがミッションだったのですよ。24歳から28歳までの4年間、まだ青二才だった俺の暗黒の下積み時代。恐らく社会人経験の前半では最も辛くて苦しい4年間。けれど販売、発注、広告、店づくり、在庫管理、シフト管理、バイト教育等々の店舗経営全般を経験でき、何よりここであの店長で耐え抜けた自信があるからこそ俺は今があると確信できる。

その後俺は本部の単独店スーパーバイザーを2年、そして念願のスキーのバイヤーを2年務め、結局10年間その会社にお世話になり、その後完全歩合制保険営業の世界に足を踏み入れることになる。

当時の学生アルバイトたちはその苦しい時代を耐え抜いた同志。その同志たちが30数年ぶりに再開したのだよ。

それぞれの人生

集まったのは総勢11名。当時学生バイトだった若者たちもワタスが24歳時ですと彼らは18歳から22歳ですから年齢差は2歳から6歳程度。ということは皆50オーバーのれっきとした大人です(笑)

30数年ぶりに会ってもほぼ名前と顔が一致しました。その後の人生の方が圧倒的に長くて濃いのですが、それでもワタスの中でも印象深い時間だったのでしょう。

「あれからどないしとったんや?」

その後の人生をそれぞれにインタビューしていくと、社内結婚(バイト同志結婚)した奥さんに先立たれ男手1つで子供を育てている者、ガンに罹患して手闘病を終えて社会復帰している者、バイト同志の結婚で当時ワタスが結婚式の司会をしたカップルも既に離婚していたり(笑)、子供が障碍を持っていながら育児と仕事を両立している者等々、それぞれがそれぞれの人生を歩んできたんだなぁと感慨ひとしおで。それでも皆明るいんですよ。

「今でも子供や孫に堀井さんに怒られたときのことを話すんですよ。」

「お、俺そんなこと言ったかな・・」

もちろん当時何を言ったか記憶にはありませんでしたが、その内容が子供や孫にも伝えられていることを聞くと、改めて偶然か必然かはわかりませんが人は人との出会いと体験によって人生に影響を及ぼしていくのだなあと。その関係性が長い短いもあまり関係ないのかもしれません。

兎にも角にも終始笑いに包まれたOB会はあっという間に3時間が過ぎ、再開を約束して解散したのですよ。

おち

歳をとってから過去の人生を振り返ると周期的にイイ時ワルイ時があるような気がします(人によっては10年とか12年)。

けれど往々にしてそのワルイ時(辛かった時、苦しかった時、やる気が出なかった時)も自分の人生には必要であり、その時や出来事があったからこそ今があると思えるのです。

ただ、そう思えるかどうかは過去を振り返って明らかに今の方が成長している自分がいなければそう思えないのも事実です。もし、その時とあまり変わらなかったり、逆に落ちている自分がいるとすれば、逆に「あの時のせいで俺はいまだに浮かばれない」と人生を悔やんでしまう人もいるでしょう。

人の成長曲線は右肩上がりに一直線では上がっていきません。上がっては止まり、悶々とした時期を経てブレイクスルーし、そしてまた止まりと波打ちながら成長していくのです。

だから。

今ここを乗越えると俺はググググッと急成長すると信じてやり続けるのです。

だから。

今成長を実感できずに悶々としているあなた。

今目の前にある課題に本気で向き合い、本気で動くことでしか解決はしません。本気で行動しているかしていないかは周りが見れば一目瞭然です。本気の振りか本気かは言葉ではわかりづらく、やはりそこにかける時間や会う人の量、そしてその結果でしか判断されません。

また、本気の姿勢は周りの人の心を動かし、必ず応援者が現れます。

よく「周りの人に恵まれて」という人がいますが、その人は恵まれたから結果をだしたのではなく、まず自分が本気になったから周りが応援してくれたのです。

あ、ワタスの場合、ゴルフはもうそこまで来ています。今その時を一緒にラウンドしてくれる応援者募集中です(笑)

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